第7回「オープニングアニメ」

オープニングアニメ・前編
快傑のーてんき まぁアニメができるって言っても庵野はセルアニメ※1はやったことがない。しかしスタッフの中にはいろんな人材がいたので情報だけはあった。セルはアニメポリス・ペロ※2で売ってるけど、値段が高いとか。1秒で何枚もセルが必要なアニメで単価が高いセルを買ってたら予算がいくらあっても足りない。そこで、ペロで買ったセルを1枚持って、東大阪のビニル団地※3に行った。「これと同じものありまへんか?」と尋ねたらおっちゃんが「おぉあるでぇ」と言って出してきたのがロールになったビニールシート。ワンロール2,000円。よっしゃよっしゃと買って帰って裁断した。色を塗ってみる。ゼンゼン同じじゃなかった。セルカラーはのるんだけど、乾くとはげる、湿ってるうちに重ねると貼りつく。
 といって代替え品もなく、そのシートで作業は進められた。
 初めてセルアニメを作るのにそんな勝手の悪いものを使ってたんで苦労は倍増。
 制作現場は岡田君の実家である岡田刺繍※4の工場と自宅の空き部屋を借りた。
 動画用紙はB5の計算用紙、タップ※5も手作り、タップ穴も裁断したビニールシートに事務用の二穴パンチであけて使った。
 庵野、赤井、山賀の3人がオープニングアニメ専従で、あと何人かが現場に詰めていた。
 制作の過程は、今我々がプロとしてやっているような完全分業ではなかった。
 岡田、庵野、赤井、山賀あたりが相談して、だいたいの構想を決める。それに沿って庵野、赤井が原動画を担当して、演出と美術を山賀がやる。まぁ演出ってのは、いわゆる今の演出とは微妙に違う作業だろう。何といっても手作りだったのだ。
 あえて言うならプロデューサー岡田、監督山賀、赤井キャラ、庵野メカというところか。あとはそのときそのとき、作業場にやってくるやつにセルにトレスさせ色を塗らせる。撮影も台に三脚を置いてカメラをつけて、タイムシート※6なんてないから、庵野が横に張り付いて、はいヒトコマ、はいフタコマといいながら撮影する。
 81年の4月くらいから設定作業を始めて、セルを塗り始めたのは6月くらいだったかな。結局、アニメの制作は大会当日の朝までやっていた。
 しかし、オープニングアニメ制作作業最大のトラブルメーカーは岡田君だった。ある日、岡田君がアニメスタッフと口論している。その内容は、オープニングアニメのクライマックスで、パワードスーツから狼煙があがり、その狼煙がイデのゲージ※7になるというシーンのことだった。それを岡田君が「このマークはイデのゲージではインパクトが弱い。絶対にオメコマークにするべきである。これは誰もやったことがないインパクトがある。でなければオープニングアニメを作る意味がない」と言い出して譲らないのだ。まったくテコでも動かない岡田君に対して、スタッフが横にいた和美さん※8(このときは岡田君と結婚まえなので、天野和美さん)に「何とか言ってやってよ」と頼んだ。和美さんは、「そんなに誰もやったことがないのんがやりたいのやったら、ウンコの早食い競争をしたらええねん。インパクトあるで」と言い放った。このセリフに岡田君は一言も言い返せず、無事オメコマークは阻止されたわけである。岡田君が無茶を言うのはそのときだけでなく、その後何度もあったが、それ以降こういった無茶が出るたびに、みんなは「ウンコの早食い」と呪文のように唱えた。
 大勢の学生スタッフをカンヅメにしてセルを塗らせたが、実際にアニメを作ったのは庵野、山賀、赤井の3人だといえる。もちろん素人団体の仕事だ。作業は大幅に遅れ、結局完成したのは大会当日の朝だった。
 そしてオープニングで上映。大反響。うれしかった。これで掴みはばっちりと思った。
のーてんき用語/人物事典
※1
セルアニメ
当時、アニメファンの間では自分たちでアニメを作りたい!という欲求が高くなっていた。
紙に書いた絵をそのまま撮影するペーパーアニメは、8ミリカメラさえあればさほどの出費もなく個人でも制作が可能だが、セルアニメはそうは行かない。セルや絵の具は高価だし、膨大な枚数のセルに色を塗る作業はとても個人でこなせるものではない。
経験の無いこととはいえ、いきなりセルアニメを制作するというのは、かなり無茶な試みだったと言える。
庵野らにとっても、DAICON3OPアニメは初めて挑戦するセルアニメだった。
※2
アニメポリス・ペロ
アニメショップの元祖。東映の系列映画館にくっついてお店があった。
キャラクターグッズや、アニメで使用したセル、設定資料などを販売しており、あまたのアニメショップの原型といえる。
当時は生セルやアニメカラーを一般向きに販売している唯一の店だった。しかし、あくまで1枚づつの「セル画」を描くための画材であって、アニメーションを制作するだけの枚数を購入するにはあまりに高価だった。
※3
東大阪のビニル団地
東大阪は、中小の町工場が多く集まった地域である。
ビニル製品を扱う工場だけでもひとつの工場群を形成するほどで、そういった工場の集まりを○○団地と呼ぶ。
素人の一見客でも、ちゃんと商売相手にしてくれるのでありがたい。
本来のアニメセルの素材はアセテートフィルムだが、もちろんそんなことは知らずに見つけた代替品は、薄いビニルシートたっだ。この素材は、一枚一枚が互いに貼りつきやすく、絵の具の乗りも悪い。
※4
岡田刺繍
岡田斗司夫の実家が経営する刺繍会社。大阪府立大近くの交通の便のよいところにあり、広い倉庫スペースもあったため、DAICON3オープニングアニメの制作にあたっては、作業場所として1フロアを借り受けて多くのスタッフがここに寝泊まりした。DAICON4の際にも場所提供をしてもらっている。
ゼネラルプロダクツはこの会社から出資を受けて開店し、1984年の株式会社化までは岡田刺繍の一部門だった。
※5
タップ
作画や撮影の際に、動画用紙やセルの位置を固定するためのガイド。
プロで使用するものは、薄い定規のような金属板の表面に3つの出っ張りがあり、セルや動画用紙にあいた穴にはめ込んで位置あわせをする。
3つ穴のあいた市販のセルや動画用紙は高価で使えなかったため、計算用紙に市販の書類パンチで穴をあけて動画用紙とした。
その穴にあわせてタップも、ボール紙に鉛筆の軸を輪切りにしたものを貼りつけて作った。
もちろん、穴が少ないために精度は悪いが、実用には耐えた。
※6
タイムシート
アニメを撮影する際の撮影指示書。
ひとコマごとに撮影すべきセルの番号やセルの重ね方などを記入した表。
作画と撮影が完全に分業しているプロの世界では必須のアイテムだが、自主制作の世界では存在が知られていなかった。
※7
イデのゲージ
「伝説巨神イデオン」の劇中で、超エネルギー「イデ」が発動する際に操縦席正面にある円形のゲージにふしぎな記号が現れる描写がある。
オープニングアニメの一カットに、このイデのゲージが光るところがあったが、岡田はそのイデの記号を女性器を表すマークに置き換えることを強固に主張した。
※8
岡田和美
岡田斗司夫とは幼馴染でSFショウの頃からスタッフとして活動に参加してきた。ゼネプロ開店直後1982年岡田と結婚。唯一の「岡田使い」として暴走しがちな岡田を制御するための安全装置の役割を果たしてきた。
ゼネプロ~ガイナックスでは経理・総務担当として実務を切り回した。岡田退職後もガイナックスに留まり、広報業務などを担当している。
小柄な身体で天然ボケをカマすキャラクターは万人に愛される。結婚前は「アマノカズミ」さんだった。

この記事は『のーてんき通信 エヴァンゲリオンを作った男たち』(2002年発行・ワニブックス刊・武田康廣著)からの抜粋再録です。文中の役職や会社名・所属などは2002年当時のものです。