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06年 8月更新

この2年半もの間、何をしていたかというと……

 な〜んにもしてませんでした(^^;)
 いや、ホントの話。内職をしているわけでもないし、日舞のお稽古も休みがちだったし、いまだにmixiにも入ってないし、別のところで力を使っていた訳ではないんです。
 ただ、お医者さんから「入院一歩手前だな。とにかく休め! 半年は休め! 公務員なら1年休めと言うところだ」と告げられてしまったもので(^^;)ゞ

 ――確かにちょっと忙しかったなあと思います。
 ひどい時には、月刊連載と単発の短篇が4本重なっていたことがありましたから。それでもひと月に200枚というのは、小説家業界では不可能な枚数ではないはず。しかも、私の場合はこれがずーっと続く訳ではなく、たいていは月産50〜100枚くらいでしたから、忙しいのは自分の要領が悪いだけ、速筆の人気作家さんなら屁のカッパの仕事量、と、徹夜のたびに自分へ言い聞かせていました。
 娘の世話も、確かに普通より手の掛かることはしていました。通園バスのない幼稚園への送り迎え、持病のための手を抜けない夕飯作り、ハンデのある子も手厚く見てもらえる某私立小学校に入れたかったのでせっせと幼児教室通い、機能回復訓練、などなど。けど、それもあんまり苦じゃなかったし、娘が元気で楽しそうなので、それが一番、と。
 でもまあ、自分でも判らないうちに疲れてしまっていたわけですねー(←鈍感)。

 倒れてしまっては、娘はいったい誰が面倒を見るのか……なんてことを言い訳に、長篇連載を中断し、単発の仕事も減らし、とにかく半年、手抜きが出来ない娘関係のことだけに専念することにしました。
 そこで思ったのは、こんなに楽な生活があったのか、ということ。娘の相手をするにも気持ちに余裕がある。「早く、早く」という娘への注意は、実は半分以上は自分の仕事の都合を押し付けていたんだなあと反省しきり。なによりも、娘を送ったあとや夜に、眠くなったら寝てもいいなんて信じられないほどシアワセ。

 娘のほうも気持ちが安定したようで、病気の色々な面が改善。無事に、いわゆる「お受験」(←この言葉、個人的に大嫌い! フツーに「小学校受験」と言えばいいのに!)にも合格し、現在、早くも二年生です。学校の様子も判ってきて、親としては一安心。
 仕事面はというと、単発の短篇や海外取材もこなせるようになり、まだ服薬しつつも、手応えとしては「ほぼ復活」。でもって、ようやくホームページも更新できた、というわけです。

 そろそろ、書き下ろし長篇を手掛ける気力もでてきた……ような気がする……かも……しれない……かな?(^^;)
 推理作家協会賞という大きな賞をいただいた重責も、いまだに原動力として効力が続いていますし、読者さんたちに忘れられないように、体調と相談しながらできる限り頑張ります。
 ので、どうぞこれからもよろしく!

幼稚園から小学校へ

 娘のハンデを考えるとここがいいだろうな、と思って通わせたF幼稚園。小規模保育のあたたかさのなかで、娘も私もたいへん幸せに過ごさせていただきました。
 次に考えるのは「小学校はどうしよう」。地元の公立は、一学年4〜5クラスとかなり規模が大きく、登下校の子どもたちの様子を見るだに、良くも悪くも子供らしいやんちゃぶり。2学年上の子どもたちが入学した年は、一年生で早くも学級崩壊があったというし、ちょっと心配だったのも確か。就学時身体測定の時にお目に掛かって(事情をお話しした)教頭先生はすごくすごくいい感じだったけど、公立の悲しさで、たぶんあと3年もすれば移動なさってしまうだろうし……。
 私立もありかなあ、でも私が公立育ちなのでぜんぜん雰囲気が判らないからなあ、結局大規模学校になっちゃうしなあ、小さな子供に「お勉強」をさせるのも嫌だしなあ、いざとなれば住民票をどこかに移して小規模の公立に通わせるのも手だなあ、などと迷いながら、とりあえず、親切そうな学校を調査してみることに。なにごとにおいてもスローモーで移り気な娘には、機敏な判断能力がいずれ必要になるだろうと思って、様子見も兼ねて幼児教室通いもはじめてみました。
 結果、ずいぶん悩んだ割には、娘は幼児教室を楽しんでいるみたいだったし、私は私でひょんなきっかけで某私立小学校の先生とお話しをすることになり、あっさりと受験を決めてしまったりして(^^;)

 まさか我が家が「お受験」(←繰り返すけれど、この言葉は好かん!)をすることになろうとは。そもそも、幼児教室の雰囲気を見るだに、私みたいなアッパラパー(^^;)はあまりいないんだもんなあ。入学したはいいけれどソリが合わなかったらどうしよう、とは思ったけれど、朱に交われば赤くなる、私も娘もちょびっとなりとお上品になれればそれはそれでいいことなのかも、と、不安を期待にすり替えてみたりなんかして。

 それにつけても、忙しい中、娘のために頑張ってくれたダンナには感謝です。幼児教室の面接指導もちゃんと出席してくれたし、そもそも小学校の見学時に理科の先生とイキナリ仲良くなって事前説明のアタリをつけてくれたのもダンナだし。子供に無関心の父親が多いこのご時世に、たいへんありがたいことでございました(^-^)

 いろんなことが幸いしてなんとか合格した娘は、現在、小学校生活を満喫しています!
 通わせてみた判ったのは、私立はやっぱり落ち着いているなあ、ということ。もともと「先生の移動がほとんどないから、事情説明を一回すれば、6年間ずっと娘の持病を理解してもらえる」のが一番の魅力だったのですが、入学当初から(娘の人なつっこい性格もあって)、学年を越えたお気遣いを先生方からいただけました。もうひとつの魅力……というか、私の勝手な思い込みは、「受験をさせようとする親なら、子どもへの関心が高い。ということは、そういう家庭ならあまり手ひどい性格の子どもにはなっていないはず。ということは、優しいお友達に囲まれた穏やかな小学校生活を送れるかも」ということ。これはまさしくその通りで、最初からイロイロとブッ飛ばしたことをやってくれた(;_;)娘なのに、どうやらまだ嫌われもせずからかわれもせず、お友達がたくさんいる模様。ありがたや、ありがたや。

 たいへん恵まれた小学校ではあるものの、しかし、たいへんなこともアリ。いや、娘は楽しさ爆発なんですが、私のほうが(^^;)ゞ
 一年生の時には、何度担任に頭を下げたか判りません(;_;) 性格なのか、気質なのか、はたまた持病のせいなのか、ほんと、イロイロやってくださっちまって(;_;) 担任の男性教諭が、厳しくもあたたかい適切な指導をなさる本当に本当にいい先生だったので、親子ともどもずいぶん救われましたけれど。二年生の担任は、冗談の通じる女性教諭で、これまた、父親DNA満載のユニークな娘にはぴったり……なんだけど、調子に乗っているのか、最近は少し周囲にウケすぎかも(^^;) お母さんはあなたを芸人にしたくはありません(^^;)
 さらに私が大変なのは、毎朝6時に起きる、ということ! 6時ですよ、6時。冬なんか、まだ暗いのよ! 以前だったら、さあこれから一眠りするか、という時間なのよ!
 学校は進学にも熱心で(というか、本来はソコが売りのひとつ)、8時10分までに登校(公立は8時半頃)、朝読書・校内テレビ放送・お祈り、曜日によっては7時間授業、1年から英語あり、礼法あり、放課後の習い事も併設、という具合。漢字検定や算数検定は、ほとんど不合格者はいない、というプレッシャーから、あまり賢くない娘を家で「調教」せねばならず、それがかなり手間なんです(;_;)

 悲喜こもごもで一年が過ぎ、娘も私もようやく落ち着いてきました。
 私って早起きもできるんだなあ、と、妙なところに感心をしたりなんかして。
 朝、賀茂川沿いの並木道(賀茂街道)を運転するすがすがしさも知り、あとはこのままずっと娘が「楽しい、嬉しい」で過ごせればいいなあ、と思っています。
 京大病院でも聖ヨゼフ整肢園でも「経過良好」と褒めてもらえてるんだから、持病に負けず、食事制限にめげず、いい子に育ってね>娘

ハムスターを飼ってます

 娘は、幼稚園の3年間、ずーーーっと「ハムスター、飼いたい」と言っていました。3年も言い続けるんだから本当に欲しいんだろうなあと思って、小学校の入学祝いとしてプレゼント。
 入学式の翌日に我が家へやって来たハムスターは、ドワーフという小さい種類の「サファイア・ブルー」というやつ。オスです。娘が「一番元気に走っているのにした(^-^)」と、選びました。

 いや、実は、私、飼うのはあんまり乗り気じゃなかったんです。死んじゃう時が悲しいし、ハムスターが特別に可愛いとは思えなかったし。
 しかーし! 実際いっしょに暮らしてみると、これが、かわいいのなんのって! 予想していたよりも10倍かわいい!こうへい
 手で食べ物を持つところがなんともラブリーだし、砂浴びしている仰向けむじむじポーズもプリティだし、米粒ほどの白い尻尾もキュート。無表情に見えてなかなか面白いこともしてくれるしね。
 中でも、ダンナへのラブコールは見てて笑えます。某アニメの主題歌にもあるとおり「大好きなのはひまわりの種」なんだけど、それを惜しみなくやるのはダンナで、もう、ダンナの姿を見るとケージに前足をかけて「くれくれ!」のひっかき踊り。娘がテレビ電話でパパの声を聞かせただけで、「おとーしゃんはどこ? ひまわりくれるおとーしゃんの声がするけど、どこ?」ときょろきょろする始末。
 でも、脳味噌ちっちゃいから、ダンナがひまわりの種を餌箱に置いてやってもそれに気付かず、いつも手渡ししてくれる指のほうばっかり探したりする。指にはなんにもないってば。大好きなシマシマは足元にあるでしょうに(^_^;)

 そんなおバカで愛らしい彼の名前は「こうへい」。もちろん娘が付けました。買いに行く前にETVでやっていた道徳番組「虹色(なんちゃら)」を見てて、それの主人公の名前なんだそうな。テキトーにつけたっぽいわりには、もうすっかり「こうへい」がなじんでしまって、もはや違和感はありません。
 ダンナはいまだに、時々娘の名前と呼び間違えるけどね。特に「あかんやないか〜(でれでれ)」てな感じで怒る時に。
 ハムスターにひまわりの種をねだられて「しゃ〜ないなあ(でれでれ)」とやる姿と、娘に物をねだられて「しゃ〜ないなあ(でれでれ)」と買い与える姿は同じだから、名前を間違えるのも無理ないか。ダンナってば、こうへいにも娘にも大甘なのがバレバレです。

 よく食べ、よく眠り、けっこう面白いことをしてしまうこうへいは、まさしく菅家の特徴を備えていると申せましょう。
 しかし、景気よく外食に連れて行ってくれるダンナが京都に帰ってくると、娘や私のみならずこうへいまでひまわりもらい放題で太ってしまうのは、「そこまでシンクロしなくていいよ」という感じです(^^;)

 娘の最近のお祈りは「こうへいが長生きしますように」。私もせっせとブルーベリーを食べさせています。ずっとずっと元気でいてほしいなあ。

スーパー銭湯のシアワセ

 以前から私は、小説のネタに困ると長風呂をすることにしていました。
 ほら、お風呂って、強制的に「何も出来ない状態」に追い込まれるでしょ? パソコンもテレビもない、雑用もここまでは追いかけてこない、髪や身体を洗う動作はルーチンと化していて手が勝手に動いているし、「考える」ことの他にすることがなくて、集中するには格好の場所です(たまに集中しすぎて、トリートメントを流し忘れたりはするけれど……)。

 家では、ネタを繰らなければならない日程になると、娘はお婆ちゃんとお風呂に入ってもらい、私は寝かしつけを終えてからゆっくり長湯をすることがあります。日程に多少余裕があると、クリップ式のLEDライトをブルーバックスに挟んでひたすらに読む。で、身体を洗う時にふらりふらりと思考を遊ばせる。日程がぎりぎりだと、本を持ち込むこともなく、ひたすらひたすら湯船に浸かり、心地よいぬくもりと浮遊感の中で、あーでもない、こーでもない、こうやってもうまくいかない、ああいけばこうなっちゃう、などとうんうん唸ったりする。
 アイディアが出なくても、汗は出る。よって、結局ネタが降りてこない場合でも、お風呂上がりは気分爽快。体重もちょっぴり減っていて、「そ〜のうちなんとか、なーるだーろぉぉおー」と焦る気持ちもゆるんでくれている。

 最近は、自動車を運転してどこでも行けるようになったので、ひとりでスーパー銭湯へ行くこともあります。
 肩や腰が凝っている時には、なんといっても「伏見 力の湯」。伏見とはいえ、私の家からは堀川通をズドンと一直線に南下すればいいだけなので、とっても行きやすいところ。ボディ・バスのジェット水流が強くて気持ちいいんです。露天風呂は温泉をタンクローリーで運んできているそうで、娘なんかお風呂上がりはお肌すべすべでおいしそうなくらい。中が明るいのも魅力です。真っ昼間っからお湯に浸かってジェットにほぐされていると、なんとも贅沢な気分になれます。

 以前はこの「力の湯」が一番のお気に入りでしたけど、もっといいところを見つけてしまって……。「力の湯」の姉妹店である「スパバレイ枚方南」。枚方とはいえ、私の家からは堀川通をズドンと(中略)「力の湯」の前を過ぎ、第二京阪道に乗ってしまえば、その後は15分ほどで着いちゃう。
 ここも、中が明るいのがいいです(^-^) 露天風呂はもちろん温泉水で、「力の湯」よりも眺めがいい! 縁が石組みなのも首凝りさんにはグッドですね。気に入った石の角にボンノクボを押し付けると、なんとも幸せな簡易マッサージ。横には最近流行りの壷湯(焼き物のでっかい壷にコッポリと入るもの。五右衛門風呂の上等版って感じ)もあって、落ち着きます。
 しかし、ここが素敵なのは、なんといっても疑似岩盤浴が入り放題なところ。500円ほど上増しすると、地下のコミュニケーションゾーンというところに入る浴衣を貸してくれて、時間制限はなし。正確に書くと、ホントの「岩盤」浴はさらに追加料金が必要で時間も50分の入れ替え制なんだけど、ほぼ同等の効果を持つ、筵敷きの大広間みたいな「ゲルマニウム浴」「岩塩(ミネラル)浴」なら、いくらでも出たり入ったりできるんです。大量の汗をかいたあとは、人工雪の降る冷たい部屋に行くのもよし、森林浴の部屋へいくのもよし。まるで極楽ですなあ。

 醍醐(という地名)のほうにある「癒し太閤 ねねの湯」にも、たまに行きます。ここは岩盤浴が流行する前から、カマールサンタイというヒーリングサウナをやっていて、3Dサウンドやアロマ、明かりの演出が付く25分間のプログラム。塩サウナの塩も使いたい放題だし、露天風呂の脇には東南アジア風の草葺き四阿があってごろんと横になれる。あとは、洗い場がもうちょっと明るければいいのになあ。

 内風呂世代にとって、銭湯やサウナってちょっと抵抗があったりするかと思うけれど、慣れてしまえば快楽天国。高温サウナや岩盤浴の気持ちいい大量発汗を覚えると、もうやめられません。
 お近くにある方、どうぞ一度おためしアレ(^-^)

今年の夏休み

 子煩悩なダンナを持つと、お裾分けに預かれてたいへん嬉しい(^-^)
「新作(グレンラガン)のアフレコがあるさかい、夏休みは帰れへんかもしれん」と言っていたけれど、なんとかスケジュールを調整して、家族旅行をさせてくれました。

 娘にとって3度目になる沖縄は、到着してレンタカーを借りたら即行で牧志公設市場へ。だって、乾燥青パパイヤも車麩もちょうど切らしていたんだもの(^_^;) 低額商品って、通販すると送料がもったいなく感じたりしませんか? ミミガー(柚風味のがおいしかった!)やゴーヤの浅漬けなどと合わせて、特産品大量買い込みでまずは物欲を満足させる。
 翌日は一日海で泳ぎました。今年、私は水着を新調してまして、アンダーが太腿丈なので「泳ぎに行くぞ!」という気構えがずいぶん楽になりました。ビキニラインをヒトサマに見せるのは、若い頃から苦手だったもので。ホテルの目の前がすぐに浜だったのもよかったです。楽しみにしていた貝や潮だまりの生き物はあまりいなかったけど、ゴーグルを付けて泳ぐと、沖縄らしく大小さまざまなお魚が! 娘は「ニモが見られた(^-^)」と喜んでいました。
 次の日は大雨だったけど、水族館へ行き、お菓子のお店へ行き、念願の「氷ぜんざい」を食したので、これもまたよし。とっても楽しい旅行でした。

 8月18日には、夕方に聖ヨゼフ整肢園のOT(作業療法)を終えてから上京。19日に旧JAFコン(新しい名称、忘れた)に行きました。キャラショウのようなものを期待して行ったんだけど、私と娘にはあんまり見るところがなくて残念。ダンナのステージ出演を気にしつつも、私と娘だけ早めにホテルへ引き上げ、プールで遊びました。
 19日のワンフェスは、さすがに勝手知ったるなんとやら。アヤシイフィギュアがたくさんあるであろうアマチュアブースには娘を近寄らせず、プロ側ブースへ直行。入り口正面にドドンとガイナのブースがあって、身内としては嬉しい限りでした。「トップをねらえ!2完成記念式典」が始まる前に、私はさっさとお買い物。ワンフェスは、実は私好みのアクセサリーや小物が出品されることが多くて、いつも楽しみなんです。ゼネプロ主催の時から毎回何か買っていた絶対少年さんに、「またキーホルダー売ってください」と直談判し、その近くのブースですっごくすっごく私好みの指輪とペンダントを見つけて狂喜乱舞し、今回の物欲はこれにて満足です。
 式典のほうは、福井裕佳梨さんが感極まっていて、思わず心の中で「頑張れ」と声援。マッキーもお疲れ様。ほんとうに完成おめでとう!
 ゆかりんのアンコールの途中だったけど、私は2時から打ち合わせ。東京創元社の編集さんふたりと、ずーーーーーーっと喋っていました(いや、雑談ばっかりじゃなくて、ちゃんと打ち合わせだったってば)。
 京都に引き籠もらざるを得ない生活をしていると、こうして業界の人とお話しするのがほんとうに嬉しく、楽しい。打ち合わせが終わった後、ダンナにも「さっぱりした顔してるなあ」と言われてしまいました。ああ、もっとパーティや打ち合わせに出席できればいいのになあ。

 ダンナのお蔭で思いがけず贅沢な夏休みを過ごさせてもらいましたが、あと、のこり一週間。
 親馬鹿ながら娘は夏休み当初からかなり一生懸命に宿題に取り組んでいると思うんですが、なにせ量が多い。ちゃんと終わるかなあ。工作や感想文という大物が残っているのが気掛かり。これから母子で頑張りますです。


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