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03年12月更新

 ついにやってしまいました、「更新は一年ぶり」というやつを……。
 言い訳はやめておきます。ほんとにごめんなさい。

寝込んで明けた03年

 前回の日記を更新してから、〈歌の翼に〉の最終話に苦しみました。書くことは決まっているのに進まない。私にはたまにあることです。が、今回はどうもソレが激しい。うんうん唸って、年末進行の編集さんに迷惑をかけ倒す。
 30日に、知人が搗いたお餅を運んできてくれて、しばし気晴らしの歓談。見送りのために娘を抱き上げて玄関先に向かおうとすると……くらっときた。
 これはもしかしたら、と熱を測ると、すでに39度ある(^^;) そうなのです。仕事に必死だったので自分が発熱していることにすら気が付かなかったのです。とほほほ〜。

 気が付いてしまったらば負けでして、熱はそれから鰻登りに。40度前後をさまよい、大晦日も三が日も寝て過ごしました。咳も出ず、ただひたすら、ぼーっとする、くらくらする、汗をかく、じっと寝てられなくて身体が勝手にもじもじ動く(!)だけ。とにかく頭と首を冷やしまくって脳味噌を守り、ものすごい汗なのでダンナに頼んでスポーツ飲料を買ってきてもらい、カリウム補給にプルーンを食べ、ひたすら寝る。不思議なのはぼーっとしているわりには元気(本人の印象)なので、寝床で本が読めたこと。久しぶりだったよ、読書なんて(;_;)
 それでもやっぱり42度ともなると脳味噌が融けるんじゃないかと心配になり、3日、ついに救急病院へ。簡易検査の結果はやはりインフルエンザではなく、要するに過労というヤツらしい。すでにケトーシスといって身体中の蛋白質が分解され始めていたので点滴を受けました。プルーンを食べてなかったらもっとひどいことになっていたかも。

 6日、少し復調したので、さぞかし布団が汗でしめっているだろうと思い、エイヤとめくる。私の敷き布団は、フローリングの上に綿布団を二枚重ねたもの。で、それをはぐと――フローリングの上に水溜まりができている! 大袈裟じゃないんです。掌で叩くとペチャペチャ音がするくらいの水溜まり。汗は全部下に落ちたみたいで、布団は濡れた感じがしないので気が付かなかった。いやあ、人間ってこんなに汗をかくことができるんだなあ、と妙に感心。もちろん、床は拭きまくって窓を開け、布団は吹き抜けの手摺りからベロリンと干してさらに布団乾燥機を二回かける(^^;) さすがに体重が一気に4キロほど減っていて、9日の始園式には「菅さん、身体が薄くなった」と言われてしまいました。
 もう治った!とばかりに、11日には日舞の新年会。昨年の発表会のビデオ上映があるので、ぜひとも出席したかったのです。自分が出る時には、準備があるので他の人のは見られませんから。しかし、この日は大阪のダンナの実家へ行かねばならなかったのであります。自分の舞姿を見ることもできないまま泣く泣く中座し、一路大阪へ。一泊したその帰り際、車に乗り込んで手を振ったあたりから猛然とまた熱が上がる。こ、これは気疲れというやつか? 休日だったのでそのまままた救急病院へ運ばれ、二度目の点滴……。
 〈歌の翼に〉を最終話になって一ヵ月落としてしまったのは、このようなワケだったのであります。疲労を疲労として感じないほど疲れてたなんて、自分でもびっくりしたよー。

新聞委員、無事終了

 幼稚園では、私は一年間、年少(ナースリーと呼ぶ)の新聞委員をやっていました。卒園時期に合わせて、たった一回、たった16ページ出すだけなのですが、他人様の原稿を活字にするのは気を遣うものでありました。校正時には人的トラブルもちょっとあり(^^;)
 原稿募集、依頼、校閲、レイアウト、イラスト手配、などなど、たいへんだったけど、学年を越えて4人の委員さんたちとあれやこれやお話できたのは楽しかったなあ。留任の方がおふたりいらしたので、これまでの様子もよく判って有り難かったです。
 私は、自分が楽をしたかったのでノートパソコンを持ち込んでワープロソフトのプリントアウト版下で出稿、というのを提案しました。校正の反映などレイアウト変更も簡単だったし、イラストはウェブのロイヤリティ契約サイトから拾ってきて埋め込むだけだし、結果的に費用が安くなったし(今まではテキストファイル出稿、印刷屋さんがレイアウト組み)、で、滞りなく終了したのはよかったけれど、操作をするのは私ばかりになってしまって他の委員の方をちょっと置いてきぼりにしてしまった感があり、パソコン導入が正解だったかどうか。
 今年から、委員をいろんな人が経験するように、という意味で留任ができなくなりました。新委員さんたちのうち、パソコンのワープロが使えるのはおひとりだけ。話し合いの結果、手作業に戻るということで、現在頑張っておられます。
 手作業にしろパソコン使用にしろノウハウが充分に引き継がれないのは前任者として残念ですが、どんな編集作業であれ、内容はPTAや先生方のあたたかい眼差しを感じる原稿であることには間違いがないと思うので、3月の発行が楽しみです。

SF大賞授賞式

 なかなか上京できなくなって寂しい昨今。
 3月7日、幼稚園が終わった足で娘と一緒に上京し、牧野さん、古川さんをお祝いするためにSF大賞授賞式へ。
 まずは会場の一階にある喫茶店で光文社の編集さんと待ち合わせ、『プレシャス・ライアー』の解説をお願いする金子隆一さんと打ち合わせ。
 パーティのほうは、子連れゆえ世話に明け暮れてあまりゆっくりできませんでしたが、雰囲気だけでも満喫し……って、軽くウソが入っているな、ええと、娘をダシにみ〜は〜写真を撮っておりました(^^;)ゞ

娘(「。」なし)関連の写真

玄関先の自分の靴を撮ったらしい SF大賞授賞式のみ〜は〜写真も含めて、みなさんにもちょっとウケるかなあというものがあるので、こっそり別ページに仕立てました。よろしければどうぞ。
 同時に、娘が携帯電話やデジカメで撮った写真も(親バカながら)ゲージツしてるっぽいと思ったので、MISC.「5歳の見た風景」というファイルに入れました。例えば、こんなの→
 NC4だとIIMGが綺麗に並ばないので、テーブルを使っていろいろとおまじない属性を付加しなければならなかったのが、忸怩たる気分(^^;) NC4って、どれくらいユーザーがいるんだろう。そろそろNC6にしたほうがいいのかなあ。

光が来た!

 このBB時代に36600bpsでちまちまと接続していた私ではありますが、地域にBフレッツの光ファイバーが来たのを機会にようやく乗り換えました。
 しかしメインマシンは相変わらず98SE。MTUやらRWINやらを調整しないといけないことは前もって知っていた。しかも今回はノートパソコンと無線LANまでやってしまおうという5段跳びくらいの大変革。なまじ自分ですべて設定しようとすると地獄を見るのは判っていたので、DAICON時代の友人に頼み、設定を任せる。LANボードを挿すためにデスクトップの筐体を開けたら、まあ、ホコリのすごいこと。よく故障しなかったなあ、というくらいにすごかった。
 お陰様で通信環境はたいへん快適になりました。なんといっても、資料調べがだんぜん楽! これまでは、ちょっと探したいことがあってもいちいち「ピーギャー、グゲゲゲゲゲゲゲ」を聞かなければならなかったのが、待ち時間なし! どんなページもサクサク表示されるので、ストレスも減りました(とはいえ、98SEの限界か、せっかくの光なのに有線LANで20メガがやっとのもったいなさなんですが)。論文などのPDFダウンロードも、ウィルス定義ファイルの更新も、ツルンとできちゃう。
 ほんとうに大感謝。使用料がちょっと高いけど満足してますです。

ぷちぷり*ユーシィ

 GAINAXが珍しく「小さな女の子も見られる番組」を作ってくれました。パソコンゲームソフト「プリンセス・メーカー」を下敷きにした「ぷちぷり*ユーシィ」(公式サイト)。NHKBS夕方放映というあまり恵まれない環境でしたが、うちは娘と一緒にずっと見ていました。絵も可愛いし、お話もそれぞれよかったし、ほんと、放映が楽しみでした。
 地上波だったらもっともっと人気が出ただろうに……。3月に終わってしまったのが残念でなりません。なので、ダンナに一生懸命「続編!続編!」と叫び続けております。
 まだ見てない人は、ぜひぜひDVDをチェックしてみてください! 最終回は友情に感動、です!

町内会の役員です

 幼稚園の新聞委員が終わったと思ったら、町内会の役員(組長)が回ってきた(;_;)
 だんだん畑が住宅になっていくせいで、うちが所属するのは12組あるうちの最大の組になってしまい、広報などの配りものはともかく各種集金が大変。
 娘の機嫌がいい時はふたりでブロックをぐるりと回っておりまして、おてて繋いで歩いていると、まあ、大変だけど嫌じゃないなあという感じ。町会長さんが行動派なので、行事の段取りなどはすべてお任せできるのも安心です。
 地蔵盆、神社のお祭り、と済んで、お役目もあと三ヵ月。来年度はうちの組から三役(会長・副会長・会計)を誰か出さなければならないんだけど……どうか当たりませんように。

SF大会 T−CON出席

 今年は栃木のリゾート大会。那須塩原温泉でした。
 シール企画は面白かった! あちこちでシール交換が始まると、やったね実行委員会(^-^) って感じでした。
 NEWSとダブるものもありますが、私が締切の合間を縫って作ったシールは以下の通り。お婆ちゃんのが超レア(恥ずかしがってほとんど配らなかった)なんだけど、コンプリートの人はいるかしらん?

デフォルト 予備・1 予備・2 お茶会用(銀地) 朗読用(銀地)
 デフォルトと予備のシールのイラスト画像には、規約に則った「丸C」表示があります。
著作権者 = NASDASUZUYA(×2)
ダンナのシール ダンナ企画用 娘のシール お婆ちゃんのシール
ダンナ ダンナ企画用 お婆ちゃん

 企画のほうも楽しくやらせていただきました。
 お茶会は徳間の編集さんやSF新人賞『RNA(ルナ)』の三島さんが来てくださって、わいわいと。三島さんはそのあともMLメンバー中心の二次会(?)にご同席くださり、あれこれとお話しできて嬉しかったです。
 朗読のほうは、私だけではなく全般的にお客さんの入りが少なかったようですが、それぞれ有意義だったとか。私は相変わらずの舌足らずでお聞き苦しいところも多々あり、申し訳ない。風野春樹さんのご感想に感謝。

 イベント内容もスタッフも温泉も快適で、のんびり……するはずが、なんとダンナの仕事がバッティングしていて慌ただしくなってしまったのが残念でした。二泊三日のSF大会期間中、キャラクターショウとぶつかっていたダンナは塩原〜東京を二往復する羽目に。あまりのシンドさに、我ら家族は最終日のエンディングを待たずして失礼してしまったのでありました。すでにパジャマで眠ってしまっていた娘を抱きかかえてホテルの暗いロビーを急いでいると、気分はすっかり夜逃げ(^^;)
 さて来年はG−CON。とにかく頑張れ、スタッフさん!

東京・大阪イベント尽くし

 塩原から夜逃げした私たちは、まず翌日のキャラクターショウに。GAINAXブースは夜店ふうになっていて、スタッフは全員浴衣姿。私は早速、スレンダーなお身体に男物の浴衣を着るというサエキトモさんの着付けを直す。女の子はウエストが細いから、補正をしっかりして角帯を腰骨のところまで落とし込むのが難儀。でも着付け上がるとすっごくイナセな青年(?)に見えて素敵でした>サエキさん
 キャラショウはファミリー向けのイベントなので、娘は遊び尽くす。なんといっても「おじゃ魔女どれみ」、なんといっても「アバレンジャー」。それはそれで王道でいいんだけど、私としてはもう一押ししたいところ(どの方向へ?)。なので、ブロッコリーさんのブースに連れて行って「にょ」を教える(^^;) ゲームコーナーや各ブースでグッズもしっかりゲットして、大満足な娘でありました。

 翌日、お守りに疲れ切ったお婆ちゃんだけ先に京都へ帰り、親子三人でTDL。何かを積極的に見たい、というよりは、プーさんのハニーポップコーンがお目当て。私はこの希望を叶えるために、京都からわざわざ前回買ったポップコーンの容器を持って行っていたのでありました。プーさんには会えなかったけど、野外イベントまでの待ち時間に入ったカントリー・ベアがかなり気に入った模様。ダンナはイベントやパレードを見せるためにずーーーーっと26キロを肩車、で、ふらふらでした。ご苦労様。

 小金井に入ってからは、どこにも行ってくれず、ひたすら会社の人と遊びたがる娘。だーかーらー、仕事中に迷惑なんだってば! 機嫌良く相手をしてくださったみなさん、どうもありがとうございました。
 で、かねてより懸案のジブリの森美術館にもようやく行けました。すごい。凝ってる。建物のちょっとした飾りまで凝ってる。TDLの小技に負けてない感じ。屋上のラピュタのロボットの身体に草が生えていたのは、やっぱり計算なのかなあ。
 娘は足が弱いのでネコバスのところへ行っても中で座りっぱなしで時間が来ちゃったけど、本人はそれでもよかったそうな。もうちょっと体重が減ったらば、今度はテラスで食事がしたいね(^-^)
 それと……もうちょっとママの気晴らしに付き合う気になってほしい(;_;) 吉祥寺をぶらぶらしたかったのに、結局行けなかったよーん。

 25日の金曜日に京都へ戻り、翌日26日土曜日は大阪梅田のジュンク堂で「Jコレクション」のトークセッション。田中啓文さんとご一緒しました。ちゃんと新刊が出てた田中さんに私がツッコミを入れるという段取りで臨んだのに、啓文さんてば「これの話はしとうないんですわー」の一点張り。でもやっぱり啓文さんはいつもの啓文節炸裂だったので、会場のみなさんは楽しかったのでは、と思います。ケダちゃん大矢博子さんから、子供の数(啓文さんはお嬢さんお二人・私は娘一人)だけミッフィーのお人形を付けたフラワーアレンジメントが届いていたのが嬉しかった〜。
 ダンナと歩き回って遅れて来た娘も、ヨウコウさん牧野さんに構ってもらってパワー全開。サインの最中私が「うるさい」と叱らなければならないほどのお喋りでした。とほほ。
 二次会も例の関西SF作家のかたがたとお話しできて満足。ダンナが車を出してくれていたので、帰りも楽でした。遊び倒してしまってもいいの、という環境ってとっても重要だと思います。楽しいのはいいけれどそのあと電車で動かなければと考えただけで疲れてしまう私は立派なオバサンになってしまったのね。

 7月中にこのようにイベント尽くし。そのあとの8月は天候不順でほんとうにどこにも行けませんでした。ダンナも忙しくてなかなか帰ってこられなかったし。仕事と療育で家に引きこもった夏でした。来年はぱーっと外遊びしたいです!

NTTのデジタルアーカイブに関するシンポジウム出席

 NEWSで緊急告知したNTTのシンポジウムは、なかなか刺激的でした。でも、緊張しまくり(^^;) だって、学者さんが多かったんだもの。〈博物館惑星〉のシステムは確かに未来のデジタルアーカイブではあるけれど、それだけのことで私が列席できるような場所ではなくて、冷や汗だらだら。
 一応はお題に則して私なりの考えをまとめて行ったのですが、控え室の雑談を聞くだに、私が用意したメモなんか「意見」ではなく「感想」レベルでしかないことをひしひしと……。急遽方針を転向して、システムや思想などの専門的なことは学者のみなさんにお任せし、素人の立場に徹した「残すということ」という感情面へ焦点を当てることに。

 残すこととは高邁な意図や単なるノスタルジーでは括れず、どんなにつまらない日記・記事でもそれを介して発信者と受け取り手がそれぞれ自分の心の裡を覗きこみ、わずかながらも影響され、人生の一部を情報のやりとりに費やし――要するに、それに関わる人たちがみずからの存在意義を確認するコミュニケート本能のようなもの……かな?(^^;) とか。ひいては双方の生存意義が情報という形で存在しているのであーる……かな?(^^;) とか。
 MLのほうにも書きましたが、他には、データベース構築や検索理論は、受け手側の感受性を眼中に入れないと役立たない、というようなことも話しました。同じ絵や物品でも、具体的な検索タームが思い浮かばない場合に「印象(現テクノロジーでは印象を言語化したもの)」で検索しようとするわけですが、それは個々人によって裏表ほどに違うタームが出てくることがありますね、みたいな。
 学者さんたちは、分類整理して活用「してもらう」面に着目しておられるので、こういう素人意見はかえって新鮮だったようです。
 で、最後に、トップダウンじゃなくてボトムアップとして情報を扱う場合は、たとえオタク的であろうとも排除せずに「そういうものを残すことはけして無価値ではない」と寛恕してほしい――要するに「巨乳」「眼鏡っ娘」の情報も、ノイズではなく「情報」として自信をもって発信できる許容性をお願いします、てなスガらしさ爆発のことも言っちまいました。学究肌みたいな人ばかりの聴衆を前に(^_^;)

 とにかく、出席するだけでちょっとはカシコクなったような気までする、有意義なシンポジウムでした。日帰りだったので二次会に付き合えず残念。みなさんともっとお話ししたらば、もうちびっとでもカシコクなれただろうになあ。
 ちなみにこのシンポジウムはネット中継されており、MLメンバーのカナダ在住の女性が、真夜中に見てくださっていました。そういうことができるのはもちろん知っていたけれど、自分の関係することで実際に「ある」と、正直「スゴイ」と思ってしまいます。インターネット時代って、こういうことなんだなあ。

「でざかまうちわろう」と狂言

 MLで盛り上がった話題をひとつ。
『声に出して読む日本語』の斎藤孝さん監修・おおたか静流さんの音楽・KONISHIKIさん、野村萬斎さん出演、の話題沸騰ETV番組「にほんごであそぼ」公式サイト現在は「かるた」コーナーのみ充実してるファンサイト子役情報M!ドリームキッズファンサイト内参考文献データベースETV研究で有名な東京福袋による
 以前からあちこちで「童謡復活祈願。むつかしい日本語でも小さいうちから身に着けろ」てなことを提唱していた私としては、待ってました!な番組です。いやほんと、録画してでもぜひぜひ見てください。

 中に狂言のコーナーもあって、番組開始当初は野村萬斎さんが「蝸牛(かぎゅう。狂言の題なのでこの場合「かたつむり」とは読まない)」の一節をやっておられました。私も蝸牛はなんどか見ているものの、「雨も風も吹かぬに でざかまうちわろう でざかまうちわろう」だけをピックアップされると、「そういえば、でざかまうちわろう、って、何?」状態。
 これは狂言をやっている人に聞くに限る、と、さっそくMLメンバーの小鷹氏に振ってみる。すると、気持ちがいいくらいにスパッと即答あり。大意は、以下の通り。
「和泉流(野村家)は『でざかま うちわろう』なんですね。大蔵流(茂山家)では『でなかま うちわろう』です」
 ああ、これなら判る! きっと「出なくば 打ち割ろう」の中世音便だ。「雨も風も吹かないのに(殻から)出ないのならば、(殻を)打ち割ってしまうぞ」ということだよね。
 直後、「にほんごであそぼ」を見ていたMLメンバーから「私もずっと知りたかった」との声が複数上がる。ぐぐってみてもしっかりしたのにはヒットしなかったので、この情報は貴重かも(^^;) 小鷹氏、感謝。

納会にて
茂山七五三先生ご一家+京都のお稽古場の約半数+保護者。
着物を着ている一番ちっこいのが娘。
左側の子は小1、右側の子は小2。
娘が加わったことで「狂言三人娘」との命名のユニット発足(^_^;)

 で、み〜は〜な娘、この番組で俄然狂言に興味を持つ。もともとやらせたかったのじゃよ。お喋りなくせに発音が不明瞭な時があるのでその矯正に役立ちそうだったし、なにより芸人根性のある娘は狂言に向いている!
 さっそくトントンと小鷹氏と話を進め、彼の師匠であり私も『鬼女の都』の取材でお世話になった茂山七五三先生(人間国宝・茂山千作さんのご次男)に弟子入り。晴れて茂山社中の末尾に加えていただけました。

 茂山家のみなさんはほんとうにほんとうにほんとうにみなさん素敵な方で、おまけにお稽古場には日舞とは違って同年代(小1と小2の女の子)がいるので、娘も「ともだちでライバル」な存在に嬉しそうです。
 今は入門的な演題「以呂波(いろは)」を、相手役を買って出てくれた小鷹氏と一緒にやっています。むつかしい言い回しも感情の抑揚つきでかなりこなせているところを見るだに、やっぱりいい日本語は幼少から丸覚えするのが大事、との感を強くしました。
 04年7月には会がある(なんと金剛能楽堂だ!)そうだけど、娘はちゃんと出られるかなあ。

あっと言う間の年の瀬

 9月に入ったら、仕事、幼稚園行事、増えた娘の習い事の付き添い、で、光陰矢のごとし。
 長い日記の最後をはしょって手を抜くわけではありません。予定表を見返しても上記三点以外のことは書き込みがないんです(^^;)

 あまりにもドタバタしすぎていて、〈小説現代〉の短篇はなんと締切を間違えて一ヵ月早く出してしまったくらい。この作品は「フード病」というものでして、BSEを中心にしたグローバルな食物汚染のSF。プリオンが蛋白質の立体構造に不具合があるものであることから「だったら亜種の可能性もアリよね」と思ってそういう小ネタも入れたのですが、よもや原稿が編集部に眠っている一ヵ月の間に本当に亜種が出てきてしまうとは。現実に追いつかれちゃった感はあるけれど、一応、原稿のほうが先だったということは〈小説現代〉編集部のSさんが証明してくれるはず(^^;)
 他にも、発症前に寿命が来てしまうだけで魚も豚も危ない、なんてーことは、またまた再燃したこのたびのBSE報道でも触れられていたり。おっかしーなあ。けっこうちゃんと未来予測をしているのに、なんで私のところにコメント取材が来ないんだろう>マイナー作家には来ませんですかそうですか。

 04年、春には娘が幼稚園年長組になります。春から始め(させ)た日舞のお稽古と、狂言に加え、小学校進学問題もからんで、娘に付き合う私も多忙を極めそうな気配。仕事に加えてプライベートがコレではどれくらい頑張れるか判らないけれど、お稽古ごとも学校選びも、娘が楽しくやれるのが一番! 今は何事も「楽しい楽しい」で過ごしてくれているので、この調子であれこれ経験してほしいなあ(^-^)

 公私ともに心配事は多々あれど、私自身も気の持ちようで乗り切って楽しく過ごそうと思います。
 みなさんにとっても04年が良い一年でありますように。なむなむ。


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