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02年12月更新


こんなに更新しなかったのは久しぶり。ほんと、時間の使い方が下手なんだなあ>私
駆け足ですが、遅い日記をば。

阪大・浅田研見学

 急遽参加を決めたので、いつ行ったのか記録を残してない(^_^;)
浅田教授とサッカーロボット 野尻抱介さんの音頭で、菊池誠さんがご尽力くださり、ロボットでおなじみの大阪大学工学部・浅田教授のところへ行きました。他にも、堀晃さんをはじめとする豪華なメンバー。私ひとりがシロウトで申し訳なかったです。
 浅田さんは、私の(多分頓珍漢な)質問にも丁寧に答えてくださるとても優しいかたで、すっかりファンになってしまいました。ロボット研究の実際ももちろんおもしろかった! 360度視野のモニターを見て、人間もこんなふうに見えるとしたら文化も変わっていただろうなと感じたり。認識や学習のモデルもたくさん見られて、少しはカシコクなった気がします。どうもお世話になりました。

 場所が千里キャンパスだったので、ダンナと娘はその間エキスポランドでお遊び。合流したらば、おじゃ魔女どれみの大きなドレッサーが後部座席に乗っていた。「展示室から出たらいきなり売店やってん」とはダンナの弁明。
 どーすんだよ、おもちゃばっかり買って〜。娘が「おねだり」を繰り返し学習して、最小コストで最大効果を上げる筋道を会得したらば、ますます我儘に育っちゃうんだぞー。

山田正紀ファンクラブ発足・推理作家協会賞パーティ

 今年は、尊敬する山田正紀さんが推協と本格ミステリ作家クラブ賞のダブルクラウン!
 6月27日、推理作家協会賞パーティの前に、徳間書店の肝入りで「プロ限定・山田正紀ファンクラブ」の発足会がありました。私はこれに先立ってご受賞のお祝いにささやかな贈り物をさせていただいたのですが、山田さんがそれをわざわざ身につけて来てくださったのには感激でした。
 いつの間にか副会長になっていた私は、プレゼント贈呈役。山田さんの作品を年代順に会員番号と照らし合わせた会員証は、1番の我孫子さんが「神狩り」、2番の私が「弥勒戦争」といった具合。「山田一門」と書いてあるのも嬉しかったです。

推協乾杯・山田さんと小松さん パーティのほうも山田さんのお人柄にぴったりの、和気藹々とした雰囲気でした。私はなんだかとても奇妙な気分(^_^;) 大好きな作家さんが照れながら壇上にいらっしゃるのを見るだに、自分が去年はあの立場だったのが信じられない気持ちだったのです。去年は当事者だったからあっという間にパーティが終わったように感じたのかな、と思っていたのですが、今年も、いろいろな方とお話しするうちにあっと言う間にお開きでした。楽しい時間はすぐに終わっちゃうんだなあ。 

 二次会も山田組に出席。シキリが去年と同じハヤカワということで、やはり去年と同じ場所。しっかり道に迷うところも踏襲してしまいました。とほほ。道連れにしてしまった藤原ヨウコウさん、すみませんでした(^^;)ゞ
 さあ乾杯もすんだし食べようかな、という時「では最初は、去年のディフェンディング・チャンピオンのスガさんに一言」という声。飲み物を噴きそうになる。いつから推協は攻防戦になったんだろう(^_^;) ベルト返還とかしなくっていいんだろうか、と、混乱の中で一瞬悩む。ともかく、錚々たる方々を前にしての最初のご挨拶はたいへん緊張しました。
 正式にご挨拶したことがなかった桐野夏生さんに、〈週アス〉連載の後釜に座らせていただいていることを踏まえてお話しすると、「ごめんねー、いっぱい書いちゃって」とおっしゃる。桐野さんは、通常10回のところを20回に延長されていたのです。ので、思わず本音が。「いえ、延長してくださっていなければ、私、落としてました。ありがとうございますぅぅ」。……その時はまだ、まさか自分も20回書いちゃうとは知るよしもなかったのでありました。ちなみに私のあとの西澤保彦さんは、私が最終回の原稿を入れた時にはすでに全話書き上げてらっしゃったとか。すごい。私とは性能が違う! ごめんなさーい、いっぱい書いちゃって>西澤さん

 ワタクシゴトですが、一次会で私はクリーム・ブリュレを食べそびれておりました。気がついたらグラタン容器が空っぽだったの。なので、テーブルにチョコレートケーキが出てきた時にはすかさず二個ゲット。横の笹本祐一さんがフォークを振りながら「いっこちょーだい」と言った時に、脊髄反射で「イヤ」と答えてしまったのはこのような事情があったのでありまして……悪く思わないでね(^_^;)>笹本さん

 二次会もあっという間にお開き。最近はなかなかパーティに出席できないぶん、よりいっそう貴重で楽しい時間を過ごさせていただいた気がします。山田さん、本当におめでとうございます。これからも応援しています!

SF大会「ゆ〜こん」出席

 お盆近くにもなると〈週アス〉はストックを吐き出して、はや綱渡り的状況に陥っていました。徹夜続きでなんとか前倒しにもってきたのは、「ゆ〜こん」を楽しみたかったから。でも結局、宿では寝ている娘を横目にモバギで仕事を続け、携帯の9600bpsでファイルを送り、温泉が閉まるぎりぎりにお湯に入る、ということをやってしまいました。ああ(;_;)

ゆ〜こんでのMLOFF。作家率高し 大会自体の内容は、今さら私が書かなくてもいろいろな方が報告してらっしゃいますのでそちらをご参考に。
 というか、担当企画がひとつもなく誰からもサインを求められない大会は実は初めてのことで、ゲストにしていただいたのが申し訳ないくらいでいったい何を書いていいのやら。
 MLのOFFは面白かったぞ。やはり「居場所がない」とお嘆きだった田中啓文さん・北野勇作さん・小林泰三さん、あとから喜多哲士さん、もいらして、わいわいと(^-^)

 いろいろな局面で、ローカルコンをそのまま敷衍して大規模イベントをするとこうなるんだなあ、と感じました。スタッフが玉石混淆の印象だったのが何より残念。ゲストではなく一参加者の立場として、ナマイキで厳しいようですが、「私/俺は頑張ったぞ」という方にのみ、心から「ご苦労様でした。ありがとうございました」を申し上げます。
 T−CONでも私をゲストにしていただけるのでしたら、ぜひともこき使ってくださいませ(^-^) 「ちょっとはお役に立てたかなあ」という手応えが、私は好きなんです〜。

沖縄だ!

 〈週アス〉前倒しは、ゆ〜こんだけではなく、このためでもあったのでありました(^^;)ゞ
 憧れの沖縄っ! そこに仕事を持って行ってなるものか、と。いや、実際は取材を兼ねているのではありますが、「書く」と「見る・調べる」のでは労力がまったく違う。
 旅行の詳細はダンナの「写真日記」をご覧ください……って不親切? だって、慣れない「原稿を持ち込まない旅行」って、あっという間どころか目瞬きする間もなくすんでしまって、リラックスした〜という実感ぐらい残ればいいものの、それすらおぼろげにしか記憶にないありさまなんですもの。しくしく。

 覚えているのは、万座ビーチホテルのオーキッドというショウ・レストランがとてもよかったこと。沖縄料理のバイキング! アシテビチ(豚足)や海ぶどうは何度お代わりしたことか。初めて食べた沖縄ぜんざいは、麦がぷつぷつ浮いていてとっても美味でした。こちらももちろんお代わりを。琉球舞踊も間近で見られて取材目的もクリア。とてもとても満足でした。

綺麗すぎて別世界みたい 海はもちろんとっても綺麗でした。エメラルドグリーンの微妙な濃淡が素敵。ダンナが手配してくれた部屋がバルコニー付きの上等だったので、ぼ〜〜〜っと飽かずに見ていました。そこから撮ったのが左の写真。
 あんまり綺麗なので、デスクトップ壁紙にできる巨大サイズを用意しました。ウェブブラウザでは大きな画像の表示はエラーが出ることがありますので、直接ダウンロードしてくださいね。

画像サイズ………2048*1536ピクセル
ファイルサイズ……181kb
このリンク文字を右クリックして
「対象をファイルに保存(IE)」「リンクを名前をつけて保存(NN)」
などを選んでください。

 NEWSページに書いた〈小説現代〉の「鮮やかなあの色を」に、沖縄の海のデスクトップ壁紙が出てきます。取材の成果第一弾(^-^)
 琉球絣の一種である「花織」も現地取材を試みたのですが、特産地の読谷村をさまよったあげく、結局、目的の工芸センターは見つからず。つぶれていたのかも。けれどなんとか国際通りで帯をGET。やっぱり本土より安いし、手の込んだいかにも「工芸品」という着物が間近で見られたのは収穫でした。
 紅型(びんがた)までは現物を調べきれなかったけれど、これはまたの機会にいたしましょう。マキシ公設市場の不思議な雰囲気もいつか作品に活きるかもしれません。ロワジールホテルの海水温泉にもびっくりした。これはミステリ向けのネタにできる余地がありそう。
 ああ、楽しく美しくおいしい沖縄。また行きたいなあ。

夏の終わりのどたばた

 それはのう、8月も半ばを過ぎた頃のことぢゃった。ふと気付くと、スケジュール表が真っ黒に埋まっていたのぢゃ。

16日
 幼稚園のお友達が遊びに来る。夜は大文字の送り火。
18日
 日舞のお稽古日。いよいよ11月の会へ向けて追い込み。この時点でまだフリを覚え切れていない。
19日
 幼稚園の夏季保育。べったり家にいた娘を2時間ほど手放してほっとする。
 しかし午後3時からはいつもの幼児教室へ連れていく。
20日
 夏季保育。その後、幼稚園のお友達が遊びに来る。
21日
 娘を京大病院へ連れていく。検査のための採血は、肥満児のために針が入らず、インターン二人が右往左往。もちろん娘は大泣き。泣きながら「もう、痛いんだから〜」と文句を垂れるのがタクマシイ。結局ベテラン(らしい)看護婦さんにやってもらう。
 予約していたのにもかかわらず、たっぷり半日仕事だった(;_;)
22日
 朝一番の予約で美容院へ行き、髪を切ってもらう。
 午後から鬘合わせ。綾小路麩屋町という京都のド真ん中へ。これ以後にカットするとサイズが変わっちゃうのだ。
 例年だと飲み物の手配や他の人のお世話をするのだが、今年は勘弁してもらってそそくさと帰る。お手伝いできなくてちょっと寂しい。
23日
 昼過ぎから清遊会。地蔵堂完成の法要なので、ダンナと娘と三人で出席。宴席つき。
 5時に京都駅近くで瀬名秀明さんと待ち合わせ。事前のメールで「ロボット題材の絵画について、SFアート研究家川合康雄さんに訊く」とあって、私は思わず「彼のことならよーく知ってます。ソラリスでバイトもしてました」と返信し、ついでに会合のセッティングも請け負うことになっていたのだ。
 夜は、私が翻訳を頼んでいる瀬名さんの妹さんや岡田靖史さんとも合流して川床で宴会。さすがに一日のうちに会席を二度食べるのは初めてのこと。疲れて眠ってしまった娘はお座敷でおねしょ(^_^;)
24日
 さすがに疲れたので、瀬名さんたちと一緒に行くはずだった「ドラえもん展」をパス。
25日
 庵野秀明・安野モヨコ夫妻が入洛。
 日舞の日でもあり、休むわけにもいかなかったので、「よかったら見学しますか」とお誘いする。クリエイター、特に姿勢やしぐさを絵にする職業の人なら一度は見ておいて損はないのが日舞のお稽古――と信じているのだけれど、多少不安が。けれどとてもよろこんでくれたみたいで一安心。
 そのあと、モヨコさんを呉服屋へ。ダンナの日記にはそそのかしたみたいに書いてあるけど、「私なら断れますから見るだけでいいですよ」とちゃんと伝えておいたのだよ。ぷんすか。珍しい加工の泥染め大島と粋だけどかわいい感じの縞、それらに合う臙脂の塩瀬帯をご購入。お支払いは庵野さん。優しい〜(*^.^*)
 夜はまたもや宴会。山賀博之さんもかけつけて、湯葉会席。川床の二階席なんて初めてだったよ! とてもいい風が吹いて、川床は何度も行っている私がうっとりするほど最高の雰囲気でした。
 娘、夫妻を送っていったブライトンホテルのスイートルームが異様に気に入る。我が物顔とはこのこと。このあと何日か「行きたい」とゴネる。お母さんだってあーゆーすごいお部屋なら何度でも行きたいんだよ(^_^;)
26日
京舞「祇園小唄」の夏の場面 娘の幼児教室は休ませることにする。体がいくつあってもたりないよーん。
 ホテルでモヨコさんに私の着物を着付け、「アベ商」繋がりの田中哲弥さんと南座の前で合流。祇園でのショッピングを経て料亭「菊乃井」へ行って宴席。お茶屋さんが呼んでくれた舞妓ちゃんと芸妓さんはあまりお話しが上手なタイプではなかったけど、地方(ぢかた)さんはいつものお姐さんだったから年の功でうまく場を保たせてくださる。女性に関しては百戦錬磨の哲弥さんでも白塗りは別なのか、ドギマギと緊張していたのがいとをかし。
27日
 娘、聖ヨゼフ整肢園でいつもの訓練。作業(OT)と理学(PT)。
28日
 夏季保育の日……だったのだが、あまりの忙しさにカレンダーを見間違え、結果的にサボってしまう。すまん、娘。
29日
 夏季保育。お迎えに行ってみて初めて、明日も、じゃなくて、昨日も、だと知り、愕然とする。
 娘を連れて日舞へ。お稽古場のみなさん、お喋りで仕切り屋のやっかいな娘といつも快く遊んでくれてありがとう(;_;)

 ……というような半月だったのぢゃよ。
 すべてが終わった時には、ワシの頭はマッシロケの白髪になっておった。いや、もちろん比喩ぢゃがな。それくらいてんてこまいだったっちゅーことぢゃよ。この間にも〈週アス〉をこなしていたワシ、けっこうエライのう。しみじみ。
 楽しいこともあったのさ、苦しいこともあったのさ、だけどワタシは乗り切った〜、泣くのはイヤだ笑っちゃおう。はははは、はは、は……(;_;)
 仕事で忙しいのは何度も何度も経験しておったが、ここまで私用のスケジュールが立て込んだのは珍しかろうて。仕事の修羅場と違って、慌ただしくも活き活きと嬉しい日々ぢゃったのう……(遠い目)。 

お婆ちゃん、長期旅行

 ご存じのとおり、私は実母と暮らしていて、仕事が忙しい時にはけっこう子守りを押し付けています。
 その母(以下、お婆ちゃん)が、大阪の長姉と共に次姉の住むオーストラリアおよびニュージーランドへ。なんと9月9日から28日という長期滞在。

 〈週アス〉の他に急ぎの雑誌仕事がなかったのがまだマシでした。けれど、ちょうど日舞の会のための地方(ぢかた)合わせがあり、これはさすがに娘を連れていくわけにはいきません。困っていると、なんとダンナが一週間も戻ってきてくれることに。ありがとうありがとうありがとう、ダンナ&GAINAXの方々!
 実はこの直前、娘に関して重大なショックを受けるコトがありまして、このタイミングでべったりダンナといられたのはとても心強かったのでした。は〜、そーゆー意味でも娘は強運の持ち主だよなあ。

 でも、肝心の地合わせ(とも言う)は、悲惨の一言。なにせ、以前のように家で練習する時間が取れないので、フリはまだあやふや。センセは優秀だった頃の私のマボロシを払拭できず、出端(では/曲の出だしのこと)から後ろ向きになってご自分の着替えをなさる――とたんに間違える私。うわ、なんか曲が余ってる。結局、出(で)からやり直し。のちにセンセいわく「さすがに最初はどうもないと思てたエ。ちょっと目ぇ離したら間違うてるし、びっくりしたわあ」。びっくりしたのはこっちです、センセ。まさかいきなり間違えるほど自分がヒドい状態だったとは。
 ひたすら落ち込んで、娘と一緒に迎えに来てくれたダンナに「もうアカン」を連発していたら、娘に頭を撫でられて「よしよし」される(^_^;)

 三ヵ月に一回しかない聖ヨゼフの定期診察も、ソンナワケでダンナと一緒。京大病院での結果を踏まえて、担当のK女医と三人で泣き笑い(^_^;)
 ダンナが東京へ帰る翌日には幼稚園の親子遠足とヨゼフの訓練があると聞いたダンナ、「親子遠足て、父親でもエエんやろ? ほんまはボクが遠足について行きたいなあ」。親馬鹿もここまでくると尊敬してしまいます。人生イロイロだけど、アノ娘の父親がコノ人でよかったです。はい。

 お婆ちゃんがいないということで、事前にはずいぶん身構えていましたが、ダンナがいない日々も思ったより楽に過ごせました。〈週アス〉の内容が佳境を迎えて筆が進みやすくなっていたために、日中は娘の世話にかまけることができたからです。
 仕事を持たない他のお母さんたちは、ずーっとこういう余裕のある接し方をしているんだろうなあ、などと感慨深く思ったり。

 で、ウキウキと旅立ったお婆ちゃんのほうはというと……バスツアーに酔いまくり、ずっとひどい体調だったのだそうです。かわいそうに。めったに出かけないお婆ちゃんだから、うんと楽しみにしていたはずだったのにね(;_;)
 おみやげは手芸好きを反映して編み物や衣服が中心。どれも洒落ていて重宝しています。NZって、螺旋や曲線のモチーフが多いんですね(どうもトンパ文字みたいにそれぞれに意味があるらしい)。どんなに体調が悪くてもしっかり買い物してくるあたりが、みょ〜に「判る判る」という感じでした。
 「もうこれで最後」なんてサビシイことを言わないで、また出かけてほしいと思います。もちろん、体調は万全にして、バスには極力乗らないようにして(^_^;)

ハヤカワJコレクションフォーラム

 まだ体調の戻らないお婆ちゃんに娘をまかせて、一晩上京。
 早川書房主催のJコレ執筆陣によるパネルが催されることになっていたのです。
 早川が自社仕切りでイベントをするのはたいへん珍しく、慣れないためか丁寧すぎるくらいに用意周到でした。事前の打ち合わせでだいたいのことを喋ってしまった私たちは、本番で予定調和を崩しまくり(^_^;)
 しか〜し、そんなことでメゲるS澤編集長ではない! のんびりした口調の絶妙の応答は、きっと多くのファンを獲得したことでしょう。以前から彼のファンを自認する私としては、ライバル(なんのだ?)が多くなってイタシカユシではありますが。
 時間も少なく、私はまだ書いていないこともあってたいしたことが言えなかったのが残念です。

 早川書房の社長さんは、企業イメージと違って(いや、出版傾向のみを見ればそのものと言っていいんだけど)とてもダンディなロマンスグレイのおじさまでした。いままでSF分野のことはあまり力をかけていない様子だったのに、終始ごきげんサンで、三次会の冒頭までお付き合いしてくださり、これには社員のほうがびっくりだったらしいです。ああどうか、これからSFにも力を入れてくれますように!

 え? 私のJコレ? だから〜(^_^;) 鋭意執筆中ということで〜(^_^;)

日舞の会

 本番二日前の下ざらえ(最終リハーサル)は、家での追い込みが功を奏したのかフリはなんとかなったものの、足元がフラフラ。
 なにせ、娘誕生とその後の療育のため、本会(歌舞伎役者さんと同じような舞台)は6年ぶり。緊張もするし、不安もあるし、勘がまったく戻らない。
 つらいのは、今回はキャリア的に弟子筆頭になってしまっていること。プログラムの写真の順列でモロバレなんだな、コレが(^_^;)
 今年はどういうわけか、ベテラン勢がご病気やご事情でみなさんお出になれないのです。娘のこともあって何度か私も参加をお断りしたのですが、「ヒロエちゃんまで出ぇへんとなると……。シンドイのは判るけど、お願い」と大好きなセンセに拝まれてしまっては出ないわけにはいきませんでした。それでもやっぱり筆頭は責任が重い。前回の本会「連獅子」で、センセの演目直前の事実上のトリを務めたのに勝るとも劣らないプレッシャー。
 とりあえず、ふらついたのは体力不足だと感じてたので、本番前日はいつもの四倍ほどの夕ご飯を食べました。しかも肉料理! ふらつくのは腰が入っていない(要するに足をしっかり折っていない)せいであり、それができないのは腰を落としてタメる体力がないから、というワケ。アタマの中では千代の富士が引退の時に言った「体力の限界っ」という言葉がぐーるぐる。私もトシなんだな。こんなことで年齢を自覚するとは情けない。緊張で寝不足になってても長いのを二番もこなせた昔がなつかしいよ(;_;)
 夜に一夜漬けに近い練習をしながらも、不安は募る一方。
 こんなことなら幼稚園友達を呼ぶんじゃなかった、「傀儡師(かいらいし)」なんていうむつかしい演目を了承するんじゃなかった、などと悩みながら当日を迎えました。

 以前なら朝一番に会場となる先斗町の歌舞練場へ入って先生方のお世話をしていたのですが、今回は娘が幼く手がかかるという免罪符をいだたき、他の人たちにすっかり任せっきり。地合わせも下ざらえも、若手を中心にみんな頑張ってくれて、初めて「世話をされる」側にまわらせてもらいました。これでずいぶん気分が楽になってます。感謝。
 焦ることなく開演ごろに楽屋へ入ると、少し余裕がでてきました。直前にテープ(MDだけど)を聞くことなんか今までなかったのに、その時間が取れる! 思いがけないところを忘れていたのには肝が冷えました。この時に曲を聞かず直接舞台に立っていたら、棒立ちだったかも。他にも怪しいところを復習していたりするうちに、もはや準備の順番が。

 化粧もすみ、衣装屋さんに着付けてもらっていると、幼稚園のお母さん&子供たちが見学に。マメマメ軍団といった感じで頬笑ましい限り。ウチの娘が興奮気味に友達を仕切っている。「お母さん、男の子の役なの」「ここ、座るのよ」「あっち行っちゃだめ」などなど、うるさいくらい。私は娘のあまりの口喧しさにお友達がイヤがったりしないかでヒヤヒヤし通し。
 面白かったのは、娘に「男の子」という言葉を吹き込まれていたせいか、ある女の子が、私の男化粧に東絡(あずまからげ)&下ばき(ズボンみたいなもの)を見て、「ゆきのちゃんのおかあさん、男の子だったの!」と言ったこと。「役」の一言があるのとないのと、ちょっと違いで大きく違う(^^;) 周囲は大爆笑でした。

 準備万端整うと、もう次が出番という時間。これも珍しい。いつもは楽屋での待ち時間が少しあるんですけどね。でもアガるヒマがなくてよかったかも。
 舞台袖で小道具屋さんに本番用の扇子を貸してもらって、使い勝手を確かめる。下ざらえでは要(かなめ)が固くで片手で折りをひとつ開ける、というのができなかったので。あと、出端の片足立ちを中心に自主練習。最初がうまくいけばなんとかなるココロなり。

 で、結果はといえば……。なんと珍しいことに、うまくいったのです! \(^_^;)/
 どれくらいうまくいったかといえば、センセが「今日が一番よかった」とおっしゃったくらい。
 ご覧になったみなさんにも誉めていただき、ほっと一息。
 二次会は晴れ晴れとした気分で臨めました。

 そのあと、業社の撮ったVTRを見て「自分でかなりデキタと思っても、他人の目にはこんな程度なのかあああっ!」と、どん底まで落ち込んだのは――まあ、例年のことではあります(^_^;)
 なにはともあれ、久しぶりの本舞台、たいへん楽しゅうございました。なかなかお稽古には行けませんが、よりいっそう精進して二年後にはもう少し上手なところをお見せしたいと思います。
 来てくださった方々、どうもありがとうございました! 来年のおさらい会(自前の着物、普段の化粧)も頑張りますから、ぜひいらしてくださいね。

私事雑多

 さすがに疲れていたみたいで、〈週アス〉終了→月刊誌短編→日舞の会、と一段落すんだら、体調がめちゃくちゃに。
 睡眠時間は確保しているのに、どんより疲労している。QPコーワゴールドが効かなくなってきた。
 仕事は楽になったはずなのに、全身が凝っている。ダンナ、マッサージチェアを買ってくれてありがとう。これがなかったらもっと悲惨だったかも。
 パソコンやマウスからも少し距離を置いているのに、右手の人差し指が腱鞘炎じみて痛い。
 不整脈も出るし、左を下にして横たわると心臓のあたりがぴくぴくする(^_^;)
 11月も終わりになって、ようやく復調の兆しが見えてきました。体は大事にしなくちゃね。自由業に休みはない。母親業にも休みはない。

寄り道をして植物園へ。綺麗だった! 5月に娘の入園をご報告しましたが、それからずっと幼稚園を中心に生活リズムをとる毎日です。
 市バスを使っての送迎、週に3回のお弁当、春秋の親子遠足、PTA新聞委員の会議、親子体操、バザー、参観、落ち葉のお掃除、お友達との招き招かれ……。
 しみじみと嬉しく思うのは「いい幼稚園に入園させることができたなあ」ということ。
 教育方針も娘に合っているし、人数が少なくてアットホームだし、先生方もよくしてくださるし、お迎えの待ち時間に顔を合わせるお母様がたも、みんないい人ばかりなんです。普通はなかなかこうはいかないんじゃないでしょうか。
 ほんとうに娘は運が強いなあ。
 他の子にはないご迷惑をおかけしている面もあるようで、それが単純に性格や心理発達経過段階のためなのか病気に起因する異常行動なのかが判らない不安でいっぱいになったりしますが、この園で、この先生方に見守られ、このお母様方のお子さんたち一緒に大きくなるのなら、少なくとも娘本人は幸せに過ごせると思い、とてもとても感謝しています。

 幼稚園も幼児教室も嬉しそうに通う娘に対して、療育以外に私に何ができるかというと……やっぱり「まじめに仕事をすること」なんだな、コレが(^_^;)
 私が頑張ることによって、人格面でも作品的にも周囲の人から喜んでもらえるようになれば、みんなも娘をかわいがってくれると思うのです。
 もちろん、仕事が順調だとたとえ忙しくても気持ちに余裕ができるから、ちょっとしたことでキーキー怒らないですむしね(^^;)ゞ
 ――というわけで、大ピンチのJコレですが、これからしゃかりきに頑張ります。どうぞお楽しみに!


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