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02年01月更新

2002お年賀画像
あけましておめでとうございます

あたりまえの平穏とささやかな幸せに
ちゃんと感謝できる
心穏やかな一年でありますように。

しゅらば・ドしゅらば・ドドしゅらば

 新年早々の話題がコレか……。でも、修羅場期間中に他の話題があるわけもなく。とほほ。

修羅場の内容

 12月はすごーーーく忙しかった。と思う。思うのだが、記憶の割りには、書き出すとたいしたことはしていないのはなぜだろう。
 新作は、SFM用短篇、『五人姉妹』用書き下ろし短篇、〈小説NON〉用短篇、の計約150枚。
 あとは、『五人姉妹』収録作品の手直しと、校正作業が2回。〈小説現代〉用エッセイ、〈活字倶楽部〉のアンケート回答。
 雑務で、インタヴューと、年賀状の作成。
 ……おかしい。これだけなのにどうしてあんなにシンドかったのか。
 お婆ちゃんはいつになく協力的で、娘の子守りを引き受けてくれていた。日舞のお稽古だって、四回のうち三回も休んだ(;_;)
 なのに、どうして???
 以下、自己検証。

 まずは新作の短篇たち。
 このごろ、賞のプレッシャーやら、SFの行く末(←偉そう)やら、ミステリとしての美学(←一応はあがいている)やら、要らないことを考えてしまって、以前ほど気楽に原稿が書けなくなっている気がする。創作・資料ともに本が読めなくなって、なんだか脳味噌がカスカスになっているという自覚もある。
 なので、いつもいつも締め切りが透けて見えてくる時期になると、激しく呻吟する羽目に。
 けしてサボっていないし、夜明けまでずっとパソコンの前に座っているのだけれど、話の核となるネタを見つけるのがまず一苦労だし、さらには「もう書き出せる」判断となる物語が物語の体裁を取るまでにもとても時間がかかるのです。
 書き出してしまえばどんなネタでも何とか着地までもっていけるであろうことは判っているんだけど、その「さあ書き始めるぞ」の決断がなかなかできないんですね。
 いったい幾晩「今日も無駄に悩んで時間をすごしてしまった」とがっくりしたことか。
 いざ書き出すとまあまあ筆は進むのが、せめてもの慰め。どれかは言えませんが、一晩(午後10時頃から翌日午後2時頃までのぶっ通し)で仕上げたモノもありました(^^;)
 もうちょっとインプットを多くして作品に臨まないと、と決意する年始であります。

『五人姉妹』収録用の手直しも、かなりの時間がかかりました。
 これは実を言うと含み済み。私の校正原稿は「真っ赤」でしかも「別紙参照」付き、というのは編集さんの間では有名なコトでありまして……。
 なので、ファイルの段階でまずは手直しすることに。しかーし、その山場に、ダンナが「たまには実家へ行くぞ」とのたまう。ダンナもお義母さんも忙しい私のことを考えてくれていて、これまではあまり「来い」だの「行く」だのと言われないできたので、これ以上の親不孝は申し訳ないと判断。モバイルギアにファイルを入れて、大阪の武田家へお泊りに。
 結果、幼なじみと遊びに出掛けたダンナと、ぐーすか眠る娘、全身で様子を聞きたがっているお義母さんを尻目に、寝室脇の三畳間で毛布をかぶりながら完全徹夜。明け方に帰ってきたダンナが寝ても、娘が起きてオジイチャン・オバアチャン&ネコにちやほやされてご機嫌さんでいても、、ダンナがもそもそ起き出しても、それでも私の仕事はまだ終わらない。
 ようやく終わって、モバギと携帯電話を繋いでS澤さんへファイルを送り、徹夜ハイテンションのせいかなぜか体力があるような気がして、せっかくここまで来たんだから娘に水族館を見せよう、と「海遊館」へ。
 で、それなりに楽しく過ごし、周遊船の上から暮れなずむ海を見ながら携帯でS澤さんに確認電話をすると――「一本多いんですけど。『奥の間のある店』は収録しないはずでしたよね」。
 あああああああああ。寝不足の祟りで、あろうことか無駄な仕事をしてしまった……。
 これが今回の修羅場シリーズ一番の痛手でした。

〈小説現代〉は、本文をお読みの方はお判りのとおり、雑誌でもOKという編集さんの一言で乗り切りました。しかし、エッセイ用に、と買い込んだ雑誌の四分の一も読めていないというこの現状はいかんともしがたく。

 あっと言う間もなく『五人姉妹』の校正(紙面)が来る。〈SFM〉、〈NON〉の年末進行締め切りと三つ巴!
 とにかく年末発売の〈SFM〉は急を要する。書き出せないなどと言ってはいられず最優先。そのあと、しゃかりきに校正をする。
 この頃になるとS澤さんと毎日のように打ち合わせ電話。彼は特大号である2月号と私の単行本とでかなりヤラレテいる模様で、ふたりでどれだけ寝ていないかの嘆き合いになる。私が午前五時ごろ会社に送ったメールを「リアルタイムで読んでました」と言われた時には、彼を困らせている原因のひとりであるにもかかわらず、私は思わずホロッとしてしまったことであるよ。
 で、ようやく校正原稿を受け取ったS澤さん曰く「今回はあまり赤くなくて安心しました」。……よかったんだか悪かったんだか。いや、もちろんファイル段階でだいぶ手を入れていたためではあるんですが。ううむ。

 仕事納めは世間様と同じ27日。〈NON〉の校正FAXの戻しがこの日にずれ込んだものの、なんとか年越し原稿はまぬがれて一安心。
 どんなに忙しくても、きっちり毎日の夕飯を作り、娘をお風呂に入れ、寝かしつけていたってゆーのは、ちょっと偉いかも。
 年賀状は今年は印刷屋さんに頼まずパソコンで手作り&プリントアウト。作業自体はさほどたいへんではなく楽しかった。PM−800は予想以上に大量印刷でも動作が速く、にんまりしてしまう。しかしついに年末に間に合わず、明けて2日に投函。

 仕事納めのあとも、あれやこれやと修羅場の雰囲気は続いていたのでした。
 例によって爆心地のように散らかっていた部屋の片付け、1月にある座談会に向けた読書、年賀状でなまじ整理してしまった住所録のデータ整合性保守、などなどなどなど。
 まだ読むべき本はすべて読めておらず、片付けるべき場所はまだ散らかったままで、クリスマスもお正月も、買い物も娯楽も何もなく……そんな年末年始でありました。
 今年もきっと忙しく暮らすことでしょう。
 もう少し時間の使い方がうまくなりたい、と、切に願っています。はい。

修羅場の体調

 寝てないと、イロイロと恐ろしいことが起こります。
 不整脈と瀕脈は、まあいつものことで、さほど慌てはしませんでした。一応お医者さんに診てもらいましたけど、やっぱりいつものグレイゾーンのデータで、悪くなっているということもなかったし。

 毎年恒例(;_;)、ダンナが東京から持ち帰ってくる風邪、今年はひどかったなあ。どうも風邪というよりはインフルエンザだったみたい。私も最悪の日々が何日かありましたが、とにかく仕事をしなければならないので、「死なないことだけが目標」の状態。娘も年末に高熱。医者に連れていく時間もないというヒドイ母親は、以前にお医者様から言われた「風邪の時は解熱をするしかしようがない」という言葉を盲信し、いただいていた座薬で乗り切らせる。もちろん、様子は常に見ていて変だったら救急医へ連れて行く覚悟でしたけど、ぐったりしていたのは一日だけだったので、ここでも「なんて母親思いの娘なんだ」と心で詫びる。最近はやっと娘の洟が止まってきました。私はというと、まだもうちょっとかかりそう。今年の洟、なんだかキレが悪くて、喉と鼻の繋がる奥のほうでしぶとく居座るのね。ああ、まだ喉も痛いし、鬱陶しいなあ。

 修羅場中を皮切りにいまだ続くもうひとつの鬱陶しさが、右耳の閉塞感。気圧がおかしいあの感じが、ずっと取れないんです。風邪のせいかと思っていたら、指圧の先生は首が凝っているせいだとおっしゃるし……。昔かかった耳鼻科の先生によると、私は元来右耳の鼓膜がちょっとへこんでるらしいのです。なんでもいいから、早く治ってくれないといらいらが募るよーん(;_;)

 さて。もっともオソロシかったのが、目。左目に違和感があるなあ、疲れ目かなあ、と思った翌日、症状を確認しようと鏡を見てびっくり。左目の白目のところが水ぶくれになっている。つまり、薄い膜がはがれて中に水が溜まっている状態。下目蓋を押さえると、ぶよっ、と水ぶくれが動く。今から考えるとゾッとしますが、当時はそんなこと心配しているヒマがなかった。かろうじて考えていたのは、娘に移ったら大変だ、ということ。顔を近付けるのも自主規制して、手も必死になって洗いましたぞよ。目薬をさすけれど改善のきざしなし。夕飯の買い出しに行ったついでに、ものもらい用の抗菌目薬を買い、それでしのぐ。なんとか治ったみたいで、よかったよかった。

 今回は、あまりに忙しすぎたのか、身体の凝りがさほどでもなかったのが不幸中の幸いでした。たぶん自覚するヒマがなかったんだろうなあ。お正月明けの五日、一日ブッ倒れたのはソレがいっぺんに出てしまったからだと思います。
 神様、どうか娘が成人するまではなんとか私を生き延びさせてください。

修羅場のおまけ

 子守りのお婆ちゃん(私の実母)も大変だったろうけど、やっぱり娘が一番可哀想でした。
 ようやく買った自慢のクリスマスツリーも買った私自身は飾り付けができず、「一緒に飾ろうねー」と言った手前、お婆ちゃんと娘だけで綺麗に飾られたツリーにちくちく胸を痛ませながらイブに突入。
 心の底からクリスマスを楽しみにしている娘に、私は「今年はケーキを焼いてあげようね。いっしょにクッキーも作ろうね」と言っていた。もちろん、それまでに仕事はちゃんと終わっているはずだった。
 しかし結果は「ごめんね……」。ああ、こんなことなら約束するんじゃなかった。娘は普段から可哀想なくらいに物判りがよくて、駄々を捏ねないのがまたいっそう可哀想で。雛祭りはぜひともケーキを焼いてやるつもり。
 恒例の「サンタさんご訪問」、今年はまだ正体がバレずにいて、それだけがちょっと救いか。コスプレの好きなパパでよかったね(^^;) ちなみに、サンタママからのプレゼントは、ウェブで注文した絵本の山でした。

 ……私の「書き出せない病」の一原因に、娘が私と一緒にお風呂を出たがる、というのがあるように思っています。以前は先に娘を洗い、お婆ちゃんが引き取ってくれたんですが、最近は「ママと上がる〜」と。
 で、雑談ついでにちょっと「ゆっくりお風呂に入って考えたいなあ」と喋っていたその日の晩、なんと娘は「お婆ちゃんと入る」と言ったのです。
 ああ、ごめん。本当にごめん。三歳だともうちゃんと大人の話しも判るんだよね。不用意なママでごめん。気を使わせてごめん。
 娘は最近、パパに買ってもらったアンパンマンのパソコン(ふう教育玩具)で、私の仕事の真似をします。「私のおしごと〜」とか言って、五十音キーボードにちゃんとホームポジションらしき構えで指を置いて(^^;) おかげで、ヒラガナと数字をだいぶ覚えました。喜ぶべき成長なんだけど、「私もおしごとするの〜」と言われると、なんかちょっと……心苦しかったりします。

 しかしまあ……どれだけ忙しかったかというと、真冬だというのにロックアイスを何回も買うことになろうとは、なんともはや。氷を噛みながら仕事をする私ではありますが、この時節に製氷機が追いつかない状態というのはねえ。
 忙しいのはありがたいことです。これっぽっちの作業量で修羅場になっちゃうのは、私のいたらなさです。でもちょっと天を仰いで吐息をついてみたりするのです。嗚呼。

その他もろもろ

 12月30日。えんどさんも日記に書いている小鷹氏のお餅つき、今年はまさしく娘の発熱の日だったので行けませんでした。午後から小鷹氏とえんどさんがお餅を届けてくださる、という連絡の直後、大森御一家と佐脇御一家が突然の来訪。なんでもKSFA系忘年会の帰りに菊池誠さん宅へ行き、近くだから、と寄ってくださったとのこと。
 嬉しいなー(^-^) ほんと、お客さんに来てもらえる家で嬉しいよー。
 子供つながりで、やっぱり近くの藤原ヨウコウさんにもご連絡をしたけれど、お嬢様はお昼寝、とか。我が娘は熱でぐったりうとうとしながらも大森家ご子息に会いたくて会いたくてしかたがない様子だったけど、ここは、風邪をうつしてはならじ、と、一瞬の面会だけにとどめ、あとは座敷でだらだらとおしゃべり。
 そうこうしているうちに、小鷹氏とえんどさんが。もうちょっとゆっくりしてほしかった大森さんご一行は、このまま飛行機に乗るとのことで風のように去っていかれる。今度はもっとゆっくりしてくださいね>大森さん
 うつうつから覚めた娘は大好きな小鷹氏がいるので、俄然元気になる。えんどさんともども、娘を気遣いつつ相手をしてくださり、母娘喜ぶ。また来てね。待ってるからね>小鷹氏・えんどさん
 夜には思いがけずパパが早く帰省してくれて、娘、ますます喜ぶ。やれやれ、元気になってくれてよかったよ。

 しかしパパは疲れていた。お風呂上がりに早々と娘と一緒に寝てしまい、私は片付け、お婆ちゃんは自分の部屋でテレビ。そのまま年明けを迎える。
 去年あんなに「幸せ〜」を実感した夜中の初詣もできず、多少がっかりしたけれど、家族全員息災に年越しができて、それだけで充分に幸せだったりするのです。

 2日、親子三人での初詣は、近所のT神社、上賀茂神社、タクシーに乗ってゆかりの北野天満宮。ついでに「アベノ橋魔法☆商店街」の成功を祈願しに晴明神社へ行ったのだけれど、ものすごい行列で、少し並んだもののすごすごと退散。げに恐ろしきはブームなりけり。標準語の人も多くて、前後から「映画が」「漫画のあそこが」と聞こえてくるのも、いとをかし。その口で「ガイドブックにも載ってない神社なのにどうしてこんなに混んでるの」なんて言うもんだから、思わず「あんたらみたいなヒトばっかりやさかいや」とツッコミそうになる。もちろん、その日はメゲてしまったけれど、晴明さんには後日ちゃんとお参りできましたよ(^-^)

 で、最後にオヤバカでございます。
 前回ご報告の娘の七五三、写真館がイメージ写真を撮ってくれました。ちょっとモデルさんみたいな幼児、というのはなかなかヨロシイもので……ぶっちゃけて言えば、「オヤバカなんで、よかった見てね」という……。
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