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01年11月更新

 さすがにSF大会のことは覚えている。娘の幼稚園選びに奔走したことも覚えている。
 けれど、過去の予定表を見ずに思い出せたのはこのふたつだけ。
 それ以外の記憶は綺麗さっぱり飛んでました。
 私、ほんとーーーーっに、忙しかったんだな……(遠い目)。
 ……とかって書いたのが10月のこと。そこからまたバタバタバタバタ。もう11月も半ばを過ぎてるじゃんか(;_;) 目次フレームの「近日更新」が恥ずかしい。

今さらですがSF大会のこと

 長くなりましたので別文書にしました。
 ココをクリックしてお読みください。

仕事・仕事・仕事

 私って、こんなに働けるんだなあ、と感心したのがこの初夏から秋にかけて。
 もとより、追い詰められたほうが頑張れる性格なのだけれど、この時ばかりは「こんな状況が乗り切れるんだろうか」と思いました。
 この頃の成果は十夜クンの「空想風景」の中にこれまでの仕事リストがありますので、ご参照ください。いや〜、彼がこれをまとめてくれた時には、今年の仕事の多さに気がついて(もっと早くに気がつけよ>私)、苦笑いをしてしまいました。せめて収入もアップすればいいものの、初版部数はベストセラー作家さんとは雲泥の差なのでそうはいかないところがつらい。
 いまは、少しずつでも新規のお客さんに名前を覚えてもらおうと、来る仕事はほぼ拒まず状態です。

 このド修羅場で一番危なかったのは〈歌の翼〉シリーズの「大きな古時計」。たぶん推理作家協会賞の興奮やらプレッシャーやらがあったのだと思うのですが、書く話はきちんとできているのに書き出すことができない。書き出してもすぐに筆が止まる。別に他のことを考えるわけでもなく、ずっとパソコンの前に座っているのに、ただただ、書けない。
 本気で落とすかと思いました。S伝社H坂さん、イラストの加藤龍勇さん、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。

 単行本も危うかった。「夜陰譚」の整理と書き下ろしも、「アイ・アム」も、SF大会前に終わっているはずだったのに……。いまだにこの頃の記憶はありません(^^;) いったいどうやって書いたんだろう、私。

 反対に華やかだったのは、エッセイや取材やインタヴューのお仕事が多かったこと。短い文章はいっそう気を使いますし、インタヴューなどの語り言葉は誤解がないように一生懸命考えるので、それなりに疲れるのですけれど、こういうのはなんとなく「いままでやってきたご褒美の露出」って感じです。


 修羅場がすんでも、ちょこちょこと著者校正などがやってきて、「さあ、お休み!」という実感はありませんでした。そんな中、風邪をひいてしまって……。熱も咳もたいしたことはないのですが、いつまでもいつまでも治らない。修羅場中にダンナが買ってくれた総合ビタミン剤が現在も活躍中。純度の高いビタミンを飲み続けると食物からの摂取能力が落ちるという話なので、なるべく飲まずにすませたいんだけどなあ。
 ちなみに、娘に移しかけたこともあったのですが、そこはそれ、くしゃみが多いなあと思った段階でシロップ薬を飲ませる母であります。私もひきはじめからビタミンCと強めの薬を飲んでいたのに、かかった。娘は二日間シロップを飲んだだけで回避できた。うーむ。やはり年齢の差なのか。

「疲れが出ちゃった」自覚があって、現在に至るまで、すっきりリフレッシュ、という手応えがありません。そうこうしているうちに11月のプチ修羅場がやってくる。また気が張って風邪が逃げていくか、治らずにいっそう悲惨な時期になるか、戦々兢々であります。

薮蛇・コンピュータウィルス編

 それはド修羅場もそろそろ終わりに差しかかった頃であった。
「ニムダが流行している」と知り、私は慌てて行動に移った。
 IEにSP2を入れたくても、56K(前の家の回線質に合わせてモデムのROMをコマンド操作しているのをまだ直していないから、実行速度は33Kほど)ではダウンロードに恐ろしく時間がかかる(余談だけれど、MSのサイトのアップデートファイルって、こちらの情報を読み取って必要分を落とすことになっているけど、あれは差分なの?それとも丸ごとなの?差分だとするといやに大きいし、丸ごと入れ換えようにもSP2は雑誌のCDROMにもついてないし。どうしろってんだ、と思ってしまった)。
 とりあえずウィルススキャンというソフトのDATデータを更新。いつものように自動でアップデート。

 すると――パソコンの起動がおかしくなった!
 BIOSチェックが済んだあと、読み込みが引っ掛かってしまって、DOS画面に数字の羅列が出、「何かキーを押すと続行します」と出る。続行させてウィンドウズまでたどり着くとあとは何ということもないのだけれど、根本的な問題だけにたいへん気持ちが悪い。
 このクソ忙しいのに……あら、お下品……もとい、このたいへん忙しい時期に、スキャンディスクのクラスタチェックまでしたけれど、不具合はなし。
 コンフィグとオートエグゼックをエディタで読んでみたけれど、私の判る範囲では整合している模様。
 もしかして、ニムダくんに罹患した? ニムダくんは最初のころMSのサイトにも感染していたそうだし、どこかで拾ってきてしまったのだろうか。それにしては挙動がニムダっぽくないんだけど。


 そこでDELLに電話。ド修羅場中につき、夜中の3時。しかし繋がるまでになんと50分! この時間が何人体勢のサポートなのか知らないけれど、正直びっくりしました。
 繋がってしまえばいつも親切なDELLのこと、あれこれあれこれ言われるように操作を繰り返し、とりあえずハード的な問題ではないと判る。よしよし。ハードが大丈夫なら、最悪の場合でもDOSソフトで原稿が書けるもんね。こう思うところがDOS出身者の強みなり。しかも今はモバギという強いサポート体勢もある。ハードさえちゃんとしてればファイル転送して待避すればモバギで執筆もOKだしね。
 そのあとも担当さんと一緒に起動オプションを操作して問題を洗い直し、結局、ウィルススキャンのDAT更新が怪しいという結論に。
 なんなんだ〜! ウィルス撲滅するはずが、薮をつついて全然違う種類の蛇が出てきたって感じ。

 当該ソフトのサイトに行って確認すると、最新のDATはバージョン4では起動に不都合が発生する、と、きっぱり(けれどとっても小さく目立たないように)書いてあった。とほほー。私は4だよ。
 ウィルススキャンはプレインストールだけれど、ちゃんとユーザー登録してあるはずだ。いまからでも5を申し込んで……と思った時点で、ハタと気がついた。
 このド修羅場の前、「春の修羅」時、いくつかバージョンアップCDが届いていたような気がする。爆心地のように散らかった部屋を探索すると……あった! やっぱりあった! ウィルススキャンの5だ。


 ところがそれからもう一山あった。これがパソコン周りの私の常套句っつーのが悲しい。
 素のバージョン5のDATを最新のものに更新しようとして、ハネられたのだ。
 再びサイトへ。DATデータをダウンロードして手動更新することに。
 これは慣れた作業だから安心ね、と思っていたらば、私のコンピュータの中の上書きすべき場所に古いファイルがない。指定フォルダを間違えたら何にもならないが、いくら取説を読んでもどうすればいいのかがよく判らない。なにせ海外ソフトが元なので、直訳調なんだよな。ちゃんとした日本語にしてほしいぞ。
 たしかインストーラー付きの半自動更新ファイルがあったはず。で、三度サイトへ。すると、サイトのとある箇所に、きっぱり(けれどとっても小さく目立たないように)、マイナー・バージョンアップしないと使えないと書いてある。
 よくよく探すと、きっぱり(けれどとっても小さく目立たないように)そのようなものが存在する(^^;)
 なんとか無事にDATも最新のものにできたけれど、念の為にやってみたDAT自動更新はやはり繋がらない。
 とりあえず仕事をせねばならない関係上、これ以上墓穴を堀るのは嫌だったから、忘れることにする。


 で、11月に入ってから自動更新してみたら……できるんだよね。サクっと。
 でも、オマケ・トラブル。
「なんだ、自動取得も問題ないじゃん」と思った瞬間に、「検索エンジンの最新は**です。最新のエンジンのあるサイトを開きますか?」なんていうダイヤログが出たもんだから、またすったもんだ。まずはパスワードが通じない。念のため古いほうのパスを入れたらあっさり入れたりして、落ち込む。そうだよなー、メンテナンスは継続だけれど、権利がネットワークアソシエイツからソースネクストに移ったんだよなあ。で、私はネットワークアソシエイツのほうのサイトに繋げていたんだよなあ。新しいパスは、きっと、ソースネクスト用だったんだなあ。単純なことだよなあ……。落ち込みつつ、長時間ダウンロード。
 エンジン部分だけのバージョンアップはとてもとても取説が難解だった。前例もあるので早々と挫折し、今度はスーパーDATという「DATとエンジンを両方更新」ファイルを落とす。ようやくファイルを取得し終わってデスクトップ画面でダブルクリックすると――「エンジンもDATファイルも最新のものです。バージョンアップ処理を中止します」。
 薮から出てきた蛇の尻尾はとてつもなく長かった。しかも、蛇だと思っていたら、徹頭徹尾、ただの紐だった……。
 しくしく。しくしく。しくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしく(;_;)

NHKのスタジオを見学

 8月30日。ド修羅場真っ最中。
 しかし私は大阪に行く。誰がなんと言っても行く決意。
 だって、峰不二子の声を生で聞ける機会などそうそうないからだっ!

 NHK大阪から「永遠の森」のラジオドラマ化の話が来た時には驚いた。途中、製作意図とその実践状態を眺めてちょこっと論議になったけれど、初のメディアミックスに浮かれていたのも事実。そう、私がGAINAXの関係者だということで世間では誤解があるようだが、小説が二次使用されたことはこれまで一度もなかったのです。
 しかしその浮かれも、NHKの柳川氏(写真・後列左)から「ネネに増山江威子さん」と聞いて最高潮に。うおおおお、と「大きいお友達」のような叫びをココロの中であげてしまう。


 今は旧館となったNHK大阪のラジオスタジオは、私の想像の10倍の広さがありました。アニメのアフレコだと、調整室にせいぜい5人なのに、なんと15人近くの人がいる! しかも、そこに2メートルはあるかというスピーカー2台、巨大な調整卓多数、で、まだ余裕がある部屋。
 のちに、近くにいたベテラン音響さんに「すごいですねー」と言うと、その方、にやりと笑って「これがNHKの底力ですよ。人海作戦」。なるほどなあ。この贅沢な器材と贅沢な体勢は民放だとむつかしいだろうなあ。
 しばらく収録状況を見学してから、休憩時間に出演者さんたちとご挨拶。
 緊張して名乗る私の前で、白いパンツスーツの増山さん(写真・前列左)はにっこり笑って開口一番、「あらー、かわいらしい声をしてらっしゃるのね」
 天下一品のかわいい声の声優さんにこんなことを言われて、舞い上がらないわけはない。もう、ほんと、真実、心底、にやけていました(^^;)
NHK1 孝弘役の宮内さん(写真・前列右)は、舞台のお仕事で立ち廻り中に怪我をされて痛々しいお姿。ユリウスの五王さんは、よく響く低音の魅力爆発。ナスターシャの三島さんは言わずもがなのベテラン女優さんで老け役造りも貫禄たっぷり。増山さんと三島さんは何十年ぶりかの再会だそうで、嬉しそうにそう教えてくださった増山さんのはしゃぎぶりが、失礼ながらまた可愛くって、ますますくらくらする私。
 社員食堂での夕食は若手の出演者さんたちと過ごしました。みんな活き活きしていてとっても素敵。関西と関東の混成部隊なのもお互いの情報交換にはよかったようです。ちなみに、固い声を使っていた〈ムネーモシュネー〉役の東さんの地声は、もっと普通ですからねー(^^;)


NHKにて2 右の写真は収録風景。床の放射状の線は、FMの立体感を活かすための立ち位置指針です。第2週の「ラヴ・ソング」のホテルの場面では、ナスターシャが歩き回ったり振り返ったりしていますから、録音された方はヘッドホンでじっくり確かめてみてくださいね。
 台本段階でもいろいろと心配なところがあり、任せる/訂正を申し入れる、妥協する/言い張る、と最後まで悩んでいました。あまり原作者が口出しする姿勢はよくないと判っていましたので、作品イメージを守ることとの兼ね合いがむつかしい。断固として主張したのは美和子の性格。台本第一稿では「どうして私のことを無視するのよ、きーっ、出ていくわっ」てな感じだったので、それは絶対に違う、と。
 勇気を出して訂正を申し入れてよかったなあと感じたのは、孝弘に美和子の呼びかけが侵入するところの収録。最初のテストはなんだかちょっと「普通の呼びかけ」だったのですが、私が何も言わずとも(スタジオでは一度だけ意向を訊かれて答えただけで、あとは嘴を挟む愚挙はしませんでした)柳川さんの指示により、だんだん、遠くから歌いかけるような私の意図する声に近くなっていきました。これは絶対に私の申し入れの効果が出た! 真意を汲み取っていただけて嬉しいです。


 柳川さんの事後連絡によると、「SFファンは2週目が好み。一般聴視者はラブストーリーの意味合いが濃かった1週目贔屓」なのだそうです。みなさんはいかがでしたでしょうか?
 歴史ある旧館での(たぶん)最後のラジオドラマ収録となった「永遠の森」。放送会館は変わっても、このスタジオでの記憶は私の中に永遠に残ることでしょう。

おばちゃん、(きた)

 9月4日夕方、悠乃の「お婆ちゃん」こと私の実母がハワイへ出発。
 長めの休みを取ってくれていたダンナの運転で、一家揃って関西空港へ。綺麗なのね、あの空港。もうちょっと遊びたかったな。
 ウチの母親(三女)は、大阪のおばちゃん(長女)とお兄ちゃん(と私は呼んでいるが、母親の下の弟)、お兄ちゃんの奥さんと待ち合わせ、さらにハワイでオーストラリア在住の陽子おばちゃん(次女)と合流するという計画。いつも子守りにこき使っているので、なにとぞ充分に遊んで機嫌よく帰ってきてくれますように、と神様にお願いする私。
 お婆ちゃんもパパもいない、私と娘と仕事(!)のみの時間は、まずまずの首尾。いんや、正直言って修羅場の追い込み時期にもかかわらず仕事はまったく進まなかったけど、まあたまにはこんな「普通の母子」もいいなあ、という感じでした。
 お婆ちゃんは9日に陽子おばちゃんと一緒に帰宅。おばちゃんは26日まで当家に滞在です。
 このおばちゃん、1960年代に単身オーストラリアに渡り、まだ白豪主義の影の残る当地でクイーンズランド大学の講師を勤め、そこの学長と結婚してしまったというツワモノ。その学長ことスーエルさんは、オーストラリアの経済発展に貢献したとかでエリザベス女王からサーの称号をもらっていたので、おばちゃんの正式な名前は「ミセス」も「ミズ」も用いない「レディ・ヨーコ・スーエル」だったりして、我が身内ながら珍しいヒトであります。スーエルさんは亡くなってしまったけど、おばちゃんはあれこれ忙しくパーティを渡り歩いてますます元気!
 ただでさえお客さん好きの娘は、社交的で楽しいおばちゃんが家にいて、もう大はしゃぎ。陽子おばちゃんのことをお婆ちゃんが「よーこちゃん」と呼ぶので、さっそく「よこちゃん(^-^)」と連呼してべったり……したい気持ちをぐっとこらえる。というのも、そーゆーおばちゃんなので、ちっとも家にいないわな(^^;) 友達に会いに行ったり、旅行へ出かけたり、講演をしたり、恩師に挨拶したり。ハワイの前も国際婦人ナントカの役員だからニューヨークにいた、という……。
 私はなにせド修羅場でありましたから、ちっともゆっくり話ができませんでした。いつもは一日ぐらい一緒に買い物に行くのに、それもできずじまい。なんとも悔やまれる来日(永住権は向こうにあるので、帰国ではない)でした。
 長いようで短い時間だったけど、私も娘も行動派でオモシロオカシイおばちゃんからいっぱい元気をもらったよ。また来てね、陽子おばちゃん!

幼稚園

 娘は7月に満3歳になりました。ということは、3年保育なら来春は幼稚園入園です。
 私は早いうちに娘を社会に放り込もうと思っていました。元気な子だったらもっと早くに保育園に入れてもいいと思っていたくらい。私があまり人付き合いがうまくないので、せっかくダンナの資質をたくさん受け継いだ娘には、いっぱい友達を作れる環境を与えてやりたかったのです。
 けれど娘は運動が遅れているので、保育園に入れるのには腰が引けました。私が仕事をするには保育園に預けるのが楽だったのだけれど。他のみんなができることが自分はまだできない。娘がこれを自覚するタイミングが乳幼児では早すぎる気がしたからです。


 こういう事情があって、幼稚園選びも慎重にならざるを得ませんでした。まずは保健婦さんに相談し、娘のような子供を受け入れてくれるところをピックアップ。以前から「ここかな」と思っていたI幼稚園も受け入れOKとのこと。あとはもう一つ「いいかも」と思っていたF幼稚園。受け入れ情報はなかったけれど、こういうことは園長先生に直接会って訊くのが吉。その時に園の見学もできるので、と、まずはF幼稚園へ行きました。
 F幼稚園はキリスト教系。訓練に通っているヨゼフはカソリックだけれどこちらはプロテスタント。けれどヨゼフの訓練の先生も「あそこはいいですよ」とおっしゃっていたし、一学年20名(1クラス)の小規模であるところも気に入っていました。
 私の希望は、例えば「階段を昇る」という集団行動を取る時に、それがまだできない娘をそっとフォローしてくれる園。「あ、悠乃ちゃんは先生と一緒にね」と離れたところから大声をかけるのではなく、「あ、できない子がいるのを忘れてた」は論外で、みんなが階段を昇っているときにそっとやってきて手を貸してくれる、うまくできなくても時間をかけてやってみる娘をにこにこと待つ余裕のある、そういうところ。
 親子3人でいきなり見学に行ったのですが、園長先生も親切で、主任の先生も優しくて、心配していた受け入れも「上の学年にも病気の子がいるんですよー」と明るく言われて一安心。
 日を改めて出席した説明会も、思ったより魅力的な行事がたくさんあることが判って「楽しそう」な雰囲気。木造校舎のぬくもりも、大きな樹が何本も植わった園庭も素敵。
 問題は「送迎」。ここは幼稚園バスがないのです。園長先生の話では「園児を拾う経路によっては長時間乗らなければならない子もでてくるし、園としても、来たと思ったらもう帰る時間になってしまう。それに送迎だとお母さん同士もいつも顔を合わせられるから交流が深まる」とのこと。さらにここは延長保育もなくて、水曜日なんかは午前中で帰ってくる。仕事持ち、ましてや徹夜ギリチョン小説家の母親にはつらい条件です。


 I幼稚園には私と娘だけで見学に行きました。ここは一学年80名という大規模幼稚園です。園長先生とお話しして、受け入れや園での生活をお聞きしたのですが、何か違う。放課後(と言うのか?)、園庭いっぱいに溢れかえる元気な園児たちに気圧されたこともあるし、先生の姿があまり見えなかった、つまり園庭の子供たちはほとんど野放し状態であることも気掛かりだったし、園長先生の「大丈夫よ。構い過ぎるもよくないでしょ」が引っ掛かったという本心もアリ。
 私だって過保護がよくないのは判っているけれど、片足立ちが2秒ともたない娘を元気爆発の園児たちの中にほったらかしにされてもなあ、という感じでした。
 ここは制服もあるし、幼稚園バスは家の前まで来るというし、延長保育も時間外のお稽古ごともやっていて、お弁当だってF幼稚園より一日少ない、という好条件だったのですが、あれやこれやで断念。


 結局、「3年間頑張ろう!」と決心して、より趣味に合致したF幼稚園へ手続きをしに行きました。
 後日の面談は、東京での会議の時間をずらしてくれたパパも一緒に出席。私は先生方に申し訳なく思いながらも「仕事をしていますから、PTA役員はできる範囲内でないと……」と申し添える。小規模園だと役員に当たる可能性も高くなるからです。送迎ができるのは十中八九普通の主婦であって、仕事をしている人は少ないはず。この事情を前もって先生にお伝えしておいたほうがいいと思った次第。どうやら月に一度の会合があるそうだけど、それくらいなら出席できそう。パパははりきっちゃって「行事のときにはアニメの上映会が提供できます」、なんちゅーことを(^^;) ご同席の牧師さんがメモの父兄欄にしっかり「アニメ」と書いていたのを私は見逃してはいない。
 給食のある月曜と、午前中で終わる水曜を除いて、お弁当を作り、市バスで送り迎えをする大変な毎日が始まりそう……。でも、娘が妙なコンプレックスを持ったり、怪我をしたりするよりは何万倍もイイ。
 ママも頑張るから、悠乃も社会生活の第一歩を楽しく、ね!

星雲賞宴会

 10月6日、田中啓文さんが音頭を取ってくださって、関西圏のクリエイターさんたちが私の「星雲賞&日本推理作家協会賞&〈SFが読みたい!〉第一位を祝う会」をしてくださった。

 お集まりの方々は、敬称略で、我孫子武丸・北野勇作・小林泰三・田中哲弥・田中啓文・藤原ヨウコウ・冬樹蛉・牧野修、という豪華さ。ここにダンナと娘と私が加わって、ダンナが設定した店でフグコースをいただく至福の時間。啓文さんが一人数え間違えたおかげで、私はコースをほぼ1・5人前ほど食べる(^^;) だってフグなんだもーん。
 残念だったのは、テーブルの違う方々とはちびっと喋りにくかったこと。よかったのは、もちろん、久々にわいわい騒げたこと! 加えて、お料理もおいしく、お店の方もとても親切だったこと。うとうとしてしまった娘が座ぶとんに地図を広げてしまったのに、「お子さんに」と言ってサービスでちいさなデザートセットまでくださった無門のスタッフさん、ほんとうにありがとうございました。


 二次会は娘が爆睡しているため、北の果ての私の家まで来ていただく。いや、引っ越しておいて本当によかった。前の家だったらお招きすらできないところだもの。ダンナ、家買ってくれてありがとー!
 北野・小林・啓文・牧野の各氏は最終電車滑り込みの時間に帰ってしまわれる。寝かしつけやお酒の準備でイソイソドタバタしていたので、この方々とは結局ゆっくり喋れずじまい。また来てくださいねーーっっ!と血を吐くような叫びで伝える。
 途中、ヨウコウさんもお帰りになる。歩いて10分かからないところなので便利。赤ちゃんがいらっしゃるのに、長々とお引き止めしてすみませんでした。
 残る面々とは朝までダラダラベラベラ。これが楽しいのなんのって! 夜っぴいて喋るというのは本当に久しぶりで、心のオアシスという感じでした。
 明け方近くには我孫子さんの奥さんもマイカーで到着。久しぶりに会えて嬉しかったです>Cさん。
 お開きになったのは朝の8時も過ぎた頃。そのころには哲弥さんに対するイメージがすっかり変わっていた私。どう変わったかは秘密(^-^) ほんと、楽しかったなあ。遠い人もいるけれど、みんな、また来てくれないかなあ。
 とにかく、「賑やかで楽しい時間」というなによりのお祝いをいただいて感謝感激であります。ありがとうございました。

日舞

 11月11日、久しぶりに日舞の会に出ました。
 8月にお稽古を復帰した時点では出るつもりはなかったのに、なぜか「ヒロエちゃんなら大丈夫やし」と先生にニッコリされて出演が決まったまではまだよかった。今年は本会(白塗りの化粧・衣装・大道具・地方さんなど、歌舞伎と同じようにする舞台)ではなくおさらい会(いつもの化粧・自分の着物・伴奏はテープ)なので、リハビリにちょうどいいかも。
 と思っていたのが間違いだった。仕事が修羅場で9月のお稽古は丸々お休み。結局、正味10回もお稽古をせずに板の上に立つ羽目に。しかも演目は何曲の「玉屋」だ。江戸時代のシャボン玉屋さんの風俗を描いた曲で、「おどけ節」の部分が速いのなんのって。
 いつもは、どこからテープが掛かってもサッと踊れる自信をつけておくのだけれど、それももうひとつ詰められない。振りを覚えるのが精一杯で、格好を直してもらうまでに至らない。
 案の定、本番では一瞬頭がマッシロになってしまいましたが、なんとか誤魔化す。けれどあとからビデオを見たらば……見たらば……見たくなかった(;_;) ああ、脚が。ああ、あの手つきが、格好悪い〜。
 深々と反省して、これからも育児と仕事の合間を縫って精進いたします、はい。

カシオペア

 推協受賞を機に買ったウィンドウズCEの走るPDA、カシオペアE−700。
 使い込むとこれが滅法便利。
 いつものごとく、フリーソフトやシェアウェアを入れまくって活用しています。何が一番かって、やっぱりデスクトップパソコンとスケジュールの同期が取れることですね。MSアウトルックはあまり好きではありませんが、いちいちメモからスケジュールを入れ直していた頃と比べると天国のよう。
 もはや新型のE−750が出ていますが、アレはゴツイから悔しくない。アジェンダに至っては、独自OSなので最初から眼中にない。
 あえて気になるのはNECが満を持して参入したポケット・ギアだけれど、今のところはカシオペアでも何の問題もないし。
 これからPDAを使ってみたいと思っているみなさんも、私のように自分の目的に合致した機種をゲットされますように(^-^)

更新遅延のイイワケ・親バカ編

 本当に「近日更新」するはずだったのよーーーっ!
 と、いくら叫んでも、もう信用はがた落ちですね。すみません。
 著者校正や雑用、という私のほうのイイワケは前述の通りですが、プライベートでも子供のことがいろいろありました。
 幼稚園のドタバタが最大のアレなんですが、他に、児童館のバザー準備、3歳3ヵ月検診、七五三。


 バザーの日時は日舞のおさらい会とダブってしまっていました。店番ができない人は手作り品を提供することになっているのですが、さすがに手芸をする心の余裕がありません。
 で、紙モノを作ることに。何がいいかをつらつら考えた末、クリスマスも近いことだし小さなギフトボックスを、と思いつきました。
 エプソンのサイトに印刷用ギフトボックスがあるのだけれど、これはなんと、オンライン印刷用で、保存することができない。しかも底面がどう考えてもヘンな展開図。
 しかたがないので、オンラインで印刷したものをスキャナで取り込み、Paint Shop Proでベクタ図へ直す羽目に。ポイントやらハンドルやらと格闘すること二晩。もともと私はコンパスで円を書こうとしても同じところに軌跡が戻ってこない人間なのでした。それがドロー描画とは、あまりにも無謀。
 なんとか展開図をクリーンナップして、貼り込むイラストを探す。たくさんあるのはウェブ用で、解像度が低い。探し回った末にドロー系(ベクタ図形は拡大しても画質が損なわれない)のフリーイラストを見つけることができました。
 背景色を変えて10枚ほど作ったんですが、先日、売れ残った1セットを見てびっくり。これは……使った専用紙の値段の6分の1にもならない値付けでは……(^^;) やっぱり紙モノって値段が付かないんだなあ。苦労の割りにはあまり児童館のためにならなかったようで、残念でした。とほほ。


 ずっと気が重かったのは3歳3ヵ月検診。カレンダーを見ては溜め息をつく毎日でした。はっきり言って、緊張のあまり何も手につかない、という感じ。
 人並み以上に肥えていて、人並み以上に言葉のたつ娘が、実は階段を手放しで昇ったり片足でケンケンするという基本的な動作ができないというのは、検診をする人や他のお母さん方にどう思われるかが、なんとなく気重なのです。別に意地悪されるとかヒソヒソ噂されるとかではないんですが、なんというか、ええと、親バカならではの過剰な心配というやつで。
 以前に住んでいたM市は小規模の衛星都市だったし、保健婦さんが娘の異状を発見したこともあって、検診の前に「*時の回に行きます」と前もって「根回し」をしたりしていました。
 今回はそうもいかない。さすがに京都市は区の人口も多くて、気にしてくださっている保健婦さんは検診には関係がないようで根回しもできない。事前の調査用紙にイロイロ書き込むことくらいしか防衛策を取れなかったのでした。
 しかしまあ、行ってみると「なーんだ、こんなもんか」というのはいつものこと。娘は無事に知能検査で二重丸を貰い、運動不得意からくるかなりの肥満も「ヨゼフで栄養指導を受けています」との書き込みが利いて、つらい追求はありませんでした。
 すまん、と思ったのは歯科検診。一生懸命磨いていたつもりなのに汚れを指摘される。歯が生えはじめた時から、歯の表面が曇ったようになるのが気になって、何度も専門家に聞き、答えは決まって「歯質が弱い」だったのに、よもや磨き不足とは。
 軽いジャブを食らったのは内科検診かな。優しいお爺さん先生だったんだけれど、足裏の反射を見て「うん、やっぱりちょっと過敏だね」とおっしゃいました。ハハオヤとしては「頑張ればなんでもできる!」と思って娘を叱咤激励(というより怒鳴りまくり)していたのだけれど、まだ基本的に「病気」なんだよなあ。一生懸命にやろうとしても根本的にできないこともあるんだよなあ。
 もうちょっと優しくしてやろう、と決心してブースを離れたその時、おしゃべりな娘を評して先生たちが「しっかりしてるねー」との声が中から。よしよし、それだけでも充分だよ、と、思わず娘の頭をカイグリカイグリする単純な母でありました。


 

 メインイベントの七五三。こちらも気構えばかりが先行していました。
 お宮参りはヒトサマから大きく遅れて4ヵ月の時。本当は3歳参りも数え年の去年にしたかったのですが、去年の秋はまだ足元が歩くことさえおぼつかなく、今年に延ばしたのでした。
 修羅場の中、呉服屋へ行って着物の算段。色々と悩んだ揚げ句、私の初着を仕立て直すことに。とっても立派な古典柄で、しかも菅家の女紋も入っているヤツでして、だんだん生地も弱るから今しか着せてやれない、と。
 オデブの娘は身幅が大きく足りなくて、お襦袢の襟を広く直してもらい、うち合わせぶんを稼ぐ。お腹がオーバーハング状態(パパそっくり!)なので、衽(おくみ)に紐をつけてもらう。被布(ひふ)だけは新調、それも刺繍入りの上等のほうを選び、お草履も真っ赤なかわいいのにして、髪飾りも縮緬の梅のカワイイのにして、準備万端。なんとパパまで、紬とはいえ、着物・羽織・袴を誂える徹底ぶり。
 美容院や写真館の予約など準備に忙しくて、さらに私は普段はパパとは違ってあまり子供をあまやかさない……のだけれど、当日、美容院でアップにしてもらって髪飾りをつけた娘を見ると、もうかわいくって仕方がなくなってしまった。日ごろはリボンやピンを嫌がるから、落差が激しかったせいもあるだろうけど、赤い鹿の子と梅の髪飾り、前髪を上げてオデコを見せた娘は、もう……、「ああ、私ってパパに負けない親バカだったのね」という感じでありまして(^^;) 私や美容師さんがあまりに「かわいい」を連発するものだから、口達者芸達者の娘は、どこで覚えたのか、やおらウインクなんぞしたりして。両目をつむってしまって、しかも口まで歪むという、ヘンテコな表情が、また、カワイオカシイ。
 お参りはご想像のとおり、ゆかりの北野天満宮でした。ダンナの膝の上の娘は、長いご祈祷の後半から「どこで飴ちゃんもらえるのー?」を連発。パパ・ママ・お婆ちゃんが写真をしつこく撮る合間も「おなかすいたー」。やれやれ、こればっかりなんだから、もう。
 写真館はイメージフォトも撮るという人気のところ。予約がぎゅうぎゅうで夕方五時からの撮影でした。一時間かけていろいろなポーズをする娘は、すっかりモデルさん気分。横から見ていてもいつもとは違うナカナカいい写真ではないかと、まだ仕上がっていはいないもののこの点でも親バカの期待は盛り上がっています。
 よくぞ大きくなりました。
 お世辞とはいえ、美容師さんや写真館のお姉さん、通りすがりの人々に「かわいい」と言ってもらえ、芸もすれば冗談も口にし、ボケもツッコミもOKの機転も利き、ごっこ遊びは驚くほど複雑な設定を用いてやはり小説家の娘であることを主張、最後まで歌える童謡もかなり多くなりました。
 ほんと、よくぞここまで育ってくれた。3歳参りが無事に迎えられて私は本当に嬉しいです。
 ……さあ、神様へのご恩返しの意味も含めて、私も仕事を頑張ろう(^^;)


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