ハハオヤだというのに、すっかり夜型の生活に戻ってしまいました。
だって、そうでなきゃ仕事の時間が取れないんだもの……。
日記を書く暇もなく、ひたすら目の前の締め切りをこなす毎日。記憶を頼りにこのページを仕上げるせつなさよ。
はあ〜。慌ただしかった。緊張した。
………………。
いや、思い出してぼんやりしててはいけないのだった。日記をつけそびれているので思い出せる内に書いとかなきゃ。
前日に会場となる東京入り。同行者はお婆ちゃん(実母)と娘。いつも新幹線は正午近くに京都を出るのぞみにしている。だって、娘はお弁当大好きで、食べ終わったら眠ってくれたりするからね。一番どうしようもない年齢だと思うんだけど、おとなしくて手がかからないのには感謝しています。
駅にダンナが迎えに来てくれて第一ホテル入り。らくちん。荷物を置いてさっそく博品館(銀座にある有名なおもちゃ屋さん)に。あれこれ物色するダンナ、そろそろ着せ替え人形を買ってやりたいお婆ちゃん、リカやジェニーには見向きもせずにアンパンマンとスプーな娘、ブタさんのなごみ系グッズを撫で繰り回す疲れた私。
夜には「ダ・ヴィンチ」の写真撮影&打合わせ。
まずは写真撮影であえなくまた緊張。カメラマンさんは美人で若い女性、レフ板も出てきて、「目を閉じてみてください」なんて言われたりして、すごく本格的。
そのあと、半ば頼み込むようにして担当さんと喫茶店でお茶を飲む。地方にいるとこういうことにすら飢えているのです。お話ししているうちにだんだん落ち着いてきて、ああ仕事があってよかったなあとしみじみしてしまいました。。なんにもなかったらホテルの部屋でクマみたいにうろうろしてたに違いないんだから。
一夜明けて、いよいよ当日。まずは美容院へ行って和服用のセット。部屋にとって返して慌ただしく着付けをし、1Fの喫茶店で早川のS澤さんと打合わせ。SF系短篇集のラインナップを練る。
斜め横の席で和服姿の京極夏彦さんが打合わせをなさっているので、ご挨拶。趣味のいいお着物がすごくお似合いで、それだけでもう緊張する。私とのツーショット写真(二次会で)は太田忠司さんのところのがよく写っています。太田さんのコメントに笑ってしまったけれど、京極さんが*というのは正真正銘褒め言葉だとしても私が*だとゆーのは他の方々には異論があるでございましょうて。
ともかく、この頃からだんだん緊張してくる。その証拠に、このときのS澤さんとの会話をまったく覚えていなかった。メモを取っててよかったなあ。
次の予定はCSのミステリチャンネルのインタヴュー。
S澤さんと控え室へ行くと、理事長の北方謙三さんがすでにどっかりと……。そこへ同時受賞の東直己さん、井家上隆幸さん、都築道夫さんがいらっしゃる。いろいろとお喋りしながらももちろん緊張。
別室でのインタヴューも終わる頃には、大沢在昌さんを始めとする理事の皆さんが続々といらっしゃる。
私はまだ受賞挨拶の内容が固まってないので、気が気ではなく、どうやら知らないうちに両手をスリスリと擦り合わせていたらしく、S澤さんに「緊張してますね」と看破される。もちろんだとも!
意識がうまく頭の中に収まっていないような状態で、お化粧直しもしそびれるままに、パーティ会場へ。
でね……授賞式そのものは、実はよく覚えてないのであった。
ダンナが「娘の世話を焼きたいから親族席に並ばない」だの、その娘が案の定舞台の私に向けて「ままー」と声を上げて焦ったことだのは断片的に覚えているのだけれど。
しかし挨拶は覚悟していたよりも澱みなく喋れたのでホッとする。実は、最後まで言おうかどうしようか迷っていたことがありました。今回の受賞はまさしく天からの贈り物だったので、娘のことを神様に願掛けしている私にとってもっともオソロシイのは「禍福はあざなえる縄の如し」という言葉なのです。賞をもらっておいて厄落としみたいでアレなんですけど、その意味で、賞金は娘がお世話になっている聖ヨゼフ整肢園に寄附することに決めていました。でも「寄附します」って、ちょっと偽善に聞こえてしまう。娘のことをコンパクトに説明して、だからなんです、と巧く説明できるかどうか自信がなかったのでした。でも、ボイター法の訓練という言葉をひとりでも多くの方の耳に入れたかった。マスコミの方々も多くいらっしゃるから、娘と同じような境遇にあって、なおかつ、なんの手立てもないと諦めている人のもとへ、もしかしたら届くかもしれないので。後から聞いたところによると言い方は嫌味じゃなかったようだし、中には「感動的な挨拶」と言ってくださった方もいらしたので、一安心。新聞記者さんが「整肢園」の表記を聞きにいらして、どうやら関東方面でちゃんと記事に組み込まれていたようだけど、私はまだそれを見ていません。ご覧になった方、いらっしゃいますか?
乾杯もすんで、気掛かりな娘のところヘ行く。
食べてる食べてる。テーブルに顎を乗っけるようにしてがつがつ食べてる。ダイエットはどうするんだ、と思うけど、この状況では仕方がないよね。大好きなガイナックスのS藤さんも来てくれてるし、周りは食べ物だらけだし、いろんな人に可愛がってもらえるし、で、ご機嫌の極みなんだもの。
お話しに来てくださった方々と言葉を交わして、ふと顔を上げると、目の前に長蛇の列があった。一瞬、なんの行列だか判らない。が、すぐに、誰あろう私に挨拶しようとしている方々だと気がつき、心底びっくりする。おおおお、人気者だーっ! もうこんなイイ思いをすることは二度とないかも。できることなら、ひとりひとりともっとゆっくりお話ししたかった……。
SF関係の先輩作家さんがたくさん来てくださっていて感激。お名前はいちいち上げませんが、本当にありがとうございました。小松左京さんも駆けつけてくださり、ああ本当にスゴイ賞をいただいたんだなあとしみじみする。
あれよあれよという間になんとお開きになってしまったのには「え、もう?」という感じでした。
二次会までには時間があった。家族は娘のお風呂とネンネのために部屋へいったん引き揚げているので、S澤さん、お世話くださっていた祥伝社のH坂さんと3人で、1Fの喫茶店へ。
私はもちろんのこと、お二人とも会場では食べ物を口にしていなかった。こういう場に慣れているH坂さんが「二次会でもきっと食べられませんよ」とおっしゃるのだが、まだ胸の中がばたばたしていてお腹が空かない。
でも、ケーキは食べる。
血糖値も上がり、いざ二次会へ……と思ったら、幹事のS澤さんがキッチリ道に迷ったのであった。いつもポーカーフェイスのS澤さんだけど、やっぱりどこかしら緊張してたに違いない。
しかしまあ、主賓が遅刻するなんてなあ。お待ちになっていた方々には悪いけれど、私らしくて笑ってしまうぞ。
二次会も盛況で、たいへん楽しく過ごしました。たくさんの方からお言葉をいただけて嬉しかった! 着席式でかなり混み合っていたので、やはりここでもゆっくりお話しできず。それが心残りです。
会場からアレンジメントのお花が運ばれてきていて、一部で「永野護・川村万梨阿」の名札がウケていました。さすがにフツーの作家さんではこのご夫婦からのお花は来るまいて、と、あまりフツーでない私は鼻た〜かだかなのでありました。
二次会が終わっても全然疲れを感じない。これぞハイな気分。
なので、三次会のカラオケにものこのこ付いて行く。人数が多かったので「唄う部屋」と「喋る部屋」に分かれ、私は「喋る部屋」へ。京極さんや井上夢人さん、綾辻行人先輩(高校が同じなのです)もいらっしゃる。
綾辻さんと井上さんのハモりを聞けたり、京極さんはここでは書けない爆笑替え歌を何曲も……。読者の皆さんが歯噛みして悔しがるのが見えるようだなあ。
何年かぶりに呼吸困難になるほど笑いつつ、そうか、三次会にもなるとこういう楽しみがあったのか、と思ったりして。田中啓文さんの日記で「朝まで喋る」ようなことが頻繁に書いてあって、そのたびによく体力が保つなあと羨ましかったのだけれど、こうまで楽しいと平気どころか次の日からの活力になる気がする。
てなことを正直に話してしまい、母親作家はたいへんだね、と周囲から同情を集めてしまった。
娘もだいぶ手がかからなくなってきたので、これからはこのテの経験も増える……といいなあ。
長々と書きました。記念なので許してね。
あちらこちらでコメントしたように、私はこの賞を今後のプレッシャーとして受け止めています。これからはずっとずっと「推協賞に恥ずかしくないように」と肝に銘じて仕事をしていかなければなりません。
どうかこれからもよろしくお願いいたします!
オマケ。
翌日、キモノやらいただきものやらをとっ散らかして荷作りをしている最中、はた、と気がつくと娘がこんな姿に。
そりゃキミは箱入り娘には違いないけど、なんで御自ら和服用トランクなんかに入ってるんだ〜?
あっ、あっ、扇子の箱を分解して遊ばないで〜。
もうこの日記ではおなじみの清遊会。
過去ログを消してしまったので簡単にご説明すると、伝説を共同管理する組合みたいなもの(……って、余計に判らないか)。
壷井清遊の法要は8月に改めてするのだけれど、6月17日にはまたこのような場に出ることができました。真面目な会議もちゃんとやったので、念のため。
雰囲気をお伝えするためにも今回は踊りの写真を。いい雰囲気でしょ。
私は正直言って祗園甲部の井上流のよさがあまり判っていません。歌舞伎舞踊とお座敷舞の京舞では、足の上げ方からして違う。
でも、判らないなりにはんなりとイイモノだと感じられるのがすごいんだよね。
向かって左側が舞妓ちゃん、座っているのが芸妓さん、三味線はベテランの地方さんです。舞妓ちゃんの赤が利いているのが素敵でしょ。写真の舞妓ちゃんはちょっとお姉さんなので髪型は下半分だけに鹿の子が見える「おふく」でしたが、もっと新米さんの舞妓ちゃんだと結髪も「割れ忍」だから後ろに使う鹿の子の赤も上下ともによく見え、襟も赤を使います。
白・黒・赤・浅葱を粋に利かせる日本の伝統って、やっぱりすごい。なんてモダンなんだろう、なんて思ってしまう。
授賞式の前に買っておきたいものがあった。
モバギは便利でもちろん原稿書きに使い続けているが、スケジュールをちょっと確認、という時には大きすぎる。ハンドバッグに入らないし、ここは新しいPDAを買わねばならない。ねばならない、ことはないけれど、とりあえずそういうことにしておこう。
そこで、いつものように調べ倒す。最初はPalmにしようと思っていた。バイザーと本家を専門雑誌まで動員して比較しつくし、バイザー系はモジュールを付けた姿がモウヒトツだったので本家の新型m505に決定。ところが、いざ買いに行くと発売日が延びているではないか! 時間がないのと調査に精力を使い果たしていたのとで、あっさりと決意を翻してWindowsCE機のカシオペアE−700を購入。エイヤ、と思ったきっかけは、実機で見るとPalm系のは文字を書くエリアが予想以上に邪魔だったから。その点CE機だと必要な時にだけ文字書きエリアが現われるので、普段は画面を広く使えるんです。ちなみに当時出初めの iPAQにしなかったのは、やはり、ジャケットを付けるのが気に食わなかったためです。
今から考えるとそのヒルガエリが大正解。CEはモバギでだいぶ判っているし、デスクトップとの連携にも余分なソフトを使わなくてすむのよね。
帰って、修正ソフトをダウンロードしてインストール。それを走らせてSDのパフォーマンスを上げてから、サクサクっと設定し、早速楽しく試用。これで原稿を書くわけではないので、IMEの入れ換えもせず、ほとんどデフォルトのままでも不便なし。京都市交通局からバスの時刻表を落としてきたので、外出先でサッと参照、なんてこともできる。よかよか。
心残りはCE機だとフリーソフトが少ないのでガシガシとカスタマイズできないことくらいか。モバギを使ってみてこれが不満だったのよね。でもこの修羅場の時期にカスタマイズし放題だったらかえって困っていたということもあるし、まあいいや。
現在、唯一の問題点は「手書きメモ」が手書きの状態でアウトルック以外に取り出せないこと。ウェブの掲示板で質問してたいへん丁寧なお返事をいただいたのだけれど、どうやら他の人にはできて私にはできないみたい。たぶんデスクトップにMS−Wordを入れてないせいじゃないかな。ワード文書に貼り込める形式に変換できないことからして、十中八九、ファイル変換モジュールが足りないせいだと思うぞ。
しかしあとはホントに快適なのであった。
いや〜、嬉しいなあ。
スケジューリングを電子モノに頼っているからならではの失敗(いつの間にかドラッグしたのか、予定が一週間ズレていた)のせいで、ヨゼフの診察日を間違えちゃったのも、結局は待ち時間が少なくなって結果オーライだったし。
私の人的ミスがなければ、モバギ&カシオペアで、PDA環境はまったく快適! なのであります。えへへ〜。
とにかく忙しくなってしまった。
嬉しい悲鳴、というヤツですな。
コメントやエッセイなどの細かい仕事も、初めての雑誌の短篇も、もちろんこれまでに注文を受けて延ばし延ばしにしていたモノも、ここが勝負所と肚を括ってキリキリやらねばならない。
どれくらい(自分なりに)頑張っているかというと、製氷機の氷が足りなくなるくらい。そう、私は飲み物を横に置いておかないと仕事ができないタイプなのです。この夏はスターバックスのタンブラーまで買ってしまった。プラスチックタイプのなので保温性は信用しなかったんだけど、ガラスのビアジョッキに比べるとずいぶん氷が保つのね。
調子に乗ってガリガリゴリゴリやっていたら、左の歯のセラミックが取れ、右の金冠まで取れてしまった。早く歯医者に行かないと。
最近では娘まで「こおりー。こおりちょうだいー」と言うようになってしまい、コリコリやりだす始末。子は親の鏡とはよく言ったものです。はあ〜、要らんトコばっかり似てからに……。