南北アメリカ 蛮 夫婦・怒涛の新婚旅行への前奏曲(プレリュード)
                                −−−−夫の場合・編
第一章 アメリカへ
「・・・出発、一日のばせないかなぁ」と妻は言った。
ギリギリまで仕事をしつつ、体調は最悪らしい。そこで夫は旅行会社に電話をする。
夫「すいません、出発日のチケットって変更できますか?」
「無理ですよ、ノーマルチケットを買うしかないです」
夫「ちなみにアメリカまで、幾らします?」
「片道一人、30万円くらいですかねぇ」
夫婦は、何がなんでも旅立つ決心をした。しかしその時点で、フライトまであと3時間。
夫は焦った。だが妻は落ち着いたものである。
妻「箱崎(エアターミナル)でチェックインさえすれば、行くまで出発しないよ」
 この妻の堂々ぶりは、頼もしくもあり恐ろしくもある。
それぞれの手荷物とトランクをひとつ持ち、溝の口より箱崎へ、そして成田へと向かう。夫はすぐに寝てしまい、気がつくと成田だった。
 平日の成田はガラ空き。早々にイミグレーションを通過すると、デューティー・フリーで免税タバコを買い、機内に乗り込む。
二人「さあ、これでどんな仕事が残ってたとしても、もう知らないもんね」
 アメリカン航空A026便がズゴゴゴゴと離陸する。
二人はビールやウィスキーを飲み、眠りにつく。
しかし夫は、初めてのアメリカに期待と不安を覚え、なかなか寝れない。

 約9時間後、飛行機はシアトルのタコマ空港に到着した。
「How are you doing?」
 空港には、妻のアメリカのお母さんであるMrs.ヘレン・スタンガーさんが迎えに来てくれていた。そのまま車で約40分、マース・アイランドという自然に囲まれた美しい場所が彼女の家だ。ここでまずは数日間お世話になる。
 ここは気温は日本とさほど変わらないが、自然がすごい。様々な鳥や、なんと庭にリスが出没したりする。そしてあのビル・ゲイツの豪邸がある。そして数日間、近くの滝や太平洋、ダウンタウンやショッピングモール等を観にいったりして過ごす。
第二章 ロサンジェルスへ
 数日後、夫婦はタコマ空港の国内線ロビーにいた。今日から二人で、ロサンジェルスに行くのだ。訪ねるのは夫の友人であり、今や世界中の子供の人気を集めている「パワーレンジャー」のアクション監督をしている坂本くん。しかし、ここ数日彼とは連絡がとれず、まるで見切り発車の様相をも呈していた。ここからロスまではアラスカ航空の飛行機を利用。尾翼にでっかいエスキモーの酋長さんが書いてあるおシャレなヤツだ(笑)。

 約4時間後、ロスに到着。地理勘の全くない二人、当然ホテルの予約をしているはずもない。そうだ、とりあえずチャイナタウンにいこう。妻は香港映画が好きだし、同じアジア人だけになんとかなるだろう。
 空港と街を往復するシャトルバスに乗り込む。
「チャイナタウンに行きたいんだけれど」
「なんだってあんなところに!?・・・まあ、ビバリーヒルズとハリウッドの後でよければ行くけれど」
「ちなみにどこかいいホテル知らない?」
「うーん、一軒心当たりがあるよ」
 南国の光に揺れるパーム・ツリー。そして、テレビで観るよりも全然チャチくて狭くて小さなハリウッドを観つつ、チャイナタウンに到着。そこは「ドラゴンゲート・イン」というモーテルであった。
 しかし、街に全然活気が無い。実はこの翌日が中国の旧正月にあたり、街はシーンとしている。しかも、坂本くんとは相変わらず連絡がとれない。
夫「ま、いっかぁ、会えないなら会えないで」

 次の日二人は、ユニバーサル・スタジオに遊びに行った。あああ、ウジャウジャと日本人がいて嫌だよう。
 しかし。ここは非常に楽しかった。特におススメなのが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー・ライド」というアトラクション。映画の続編に自分が参加する形となるのだが、これがおもろい。思わず二回も乗ってしまった。
 次の日、ようやく坂本くんと会う。彼の案内でスタジオを見学したり、車でドライブに連れていってもらったり。おまけにズーズーしくも映画版パワーレンジャーのスタッフTシャツをもらったり、宣伝用のスチール写真までお土産にいただいたのだった。  その夜。ハリウッド・ブールバードをウロウロしつつ、有名なチャイニーズ・シアター(スターの手形があるトコね)でスター・ウォーズのリメイク版を観る。いやもう、みんな拍手はするわ叫ぶわで、お祭り騒ぎ。多少圧倒されつつモーテルに戻る。

 翌日、ロスから再びシアトルへ。ここで、ヘレン母さんの都合によりホスト家が変わる。妻のお父様の知り合いで、インド人ドクターのクマールさんのお宅へゴー。このクマールさんが非常に愉快な方なのだ。
ク「シアトルは寒いかい?」
夫「ええ、寒いっスね」
ク「そうか、それなら私が暖めてあげよう。それ!」
と言って、抱擁。
ク「これをインスタント・ヒートと言うのだ」
おもろいおっちゃん(笑)。このドクターは、つたない英語の夫に対しまるで子供と話すようにしてしっかり対話をして下さった。おまけにおウチにはインドの楽器やピアノがあり、毎晩シタールを習ったりした。
 軍医である奥様の手作りインド家庭料理は非常に美味しく、息子さんであるラジッシュと、ワシントン大学周辺のダウンタウンに遊びに行ったりした。タイ料理の店で、元キックボクサーのタイ人とちょっとだけタイ語で会話しちゃった。んふ。

 さあ、いよいよシアトルを発つ日がやってきた。ドクターに見送られて、タコマ空港から一路マイアミへ。ここで飛行機の乗り継ぎのため、一泊しなければならない。
 しかし、荷物の一つが出こない。見事なロスト・バゲッジである。ウチらの荷物はどこじゃい、と探すこと2時間。それでも行方は分からず。結局南米で再会するのだが、その間に一度日本に行って帰ってきたそうだ。ドッと疲れつつ、空港近くの格安のモーテルに泊まる。
 夕食はいかにもアメリカンなバーで、ビール&夫はステーキバーガー、妻はドルフィンバーガー。
「イルカも案外美味しいじゃん」
などと言いつつ、いよいよ南米への旅が始まろうとしていた。
第三章 落石inエクアドル
 マイアミを後にして約5時間。妻は寝ている。飛行機はエクアドルの首都・キトにあるマリア・スークレ国際航空に向けて最終着陸体勢をとっていた。
 が。なかなか着陸しない。どうもグルグルと旋回しているようだ。
機長「悪天候のため、もう一度着陸をやりなおします」
あらま。・・・それから20分。
機長「悪天候のため、もう一度着陸をやりなおします」
おいおい、だいじょぶかい。しかしまだ飛行機はグルグルと回っている。それからまたまた20分。
機長「もう一度だけ着陸を試みて、駄目なようなら隣のグアヤキルの空港に着陸します」
 こ、こらー!!!!隣ったって、車で10時間はかかる距離やんけー!夫は焦った。なんせ空港にはこれまたお宅にお世話になるドクターが迎えに来て下さっているはずなのだ。それに、こんな夜中に見知らぬ土地に降りるのは嫌だ。急いで「地球の歩き方」でグアヤキルを観ると、治安はあまりよろしくないと書いてある。頼む、機長!
 キキッ。見事とは言えないが、タッチダウン。なんとかキトに着陸できたのであった。
妻「ん・・・着いたの?」
夫はいままでの経緯を妻に説明した。すると、
妻「いいおミヤゲ話になるねぇ」

 キトは標高2800メートルの高所にあり、人によっては高山病の症状が出る。入国を待つ間、夫は未だ知らぬ高山病の症状がいつ出るかとドキドキした。が、全然何も起こらない。なーんだ、ヘーキじゃーん(^^)
 税関で調べられることなくスルッと通過すると、ワッと群がる人の波。出迎えやタクシーの客引きでごった返す中、二人の名を呼ぶ声が!!
「Wellcome to Equadol!!」
 お世話になるドクトル・ヒノホサがニンマリと笑っていた。その横に奥さんのマルタ、息子のセバスチャンがいる。夫婦はまだ買ったばかりというシボレーの四駆に乗せてもらい、空港よりわずか5分の場所にあるドクトルのご自宅へ。
 次の日。朝からドクトルとマルタと共に、キト周囲の観光へ。街を行きかうインディヘナのおばさんを見ていると、ここが南米だと強く実感する。エクアドル最高峰のチンボラソ(6310m)や国立公園、インディヘナの市がたつオタバロ、アイスクリームの有名なイバラという街などを見物する。
 この時期、南米では各地でカーニバルが開かれていたが、リオなどの有名な所を除いて、水をかけあって祝うのが一般的。誰に水をかけられてもニッコリと笑って祝うのだ。そして、イバラのアイスクリーム屋さんの前。我々が車に乗ろうとすると、スススと近づいてきた一台の車から、水入り風船が投げられた。それが見事に、妻にヒット!!怒りのやり場をぶつけることが出来ない妻は、複雑な表情で笑っていた。

 キトへの帰り道、すっかり暗くなった山道を安全に走るドクトル。しかし闇は迫り、片側は向きだしの山肌、片側はガードレール無しの谷。おまけに霧まで出てくるし、ネイティブ・スピーカーの妻はドクトルの不思議な英語でクラクラしっばなし(エクアドルの公用語はスペイン語)。
 そして、あるカーブを曲がった瞬間、猛烈な勢いの霧に巻き込まれた。しかし、それにしては何か変だ。慌てて急ブレーキがかかった車の前に、ドスンと大きな岩が落ちた。落石だ、ヤバい!!もうもうと立ちこめる砂煙の中、車は一目散にその場を去った。あと1秒早く突っ込んでいたら、直撃だった。
第四章 クルーズ船へ・・・
 マリア・スークレ空港の国内線待合室には、赤い揃いのジャージを着たガキんちょがウジャウジャしていた。今日からいよいよ、旅の最大目的地であるガラパゴス諸島へ行くのだ。送ってきてくれたドクトルが一切手配してくれ、一緒に見送りに来てくれたドクトルのお母さんとつたないスペイン語でコミニュケートする。ふう。
 やがて、出発の時間。が・・・15分、30分、一時間が過ぎてやっとゲートが開く。うーむ、すっかり南米の時間感覚だわ。そうしてようやく機内に乗り込んだのだが、さっきのガキんちょの群れと同じ飛行機。しかも、彼等に我々は非常に珍しい存在らしく、HOLA! (やあ!)と挨拶してくる。人なつっこいのはいいが疲れちゃうのよん。

 飛行機は、やがて離陸、と思いきやクソ甘いコーヒーを飲んだらすぐに着陸。グアヤキルで一度乗り換え、約二時間半でガラパゴスに。眼下に見える海は、今まで見たことのない、美しい緑色・・・。
 だが、夫は密かに心配事があった。実は船に酔う、という欠点があったのだ。ガラパゴス諸島は、飛行場をもつ二つの島以外に宿泊施設はなく、船で幾つかの島をクルーズするしか手段がない。つまり、島に上陸する以外は常に船に乗っているワケだ。しかも、四泊五日も。子供の頃から夢見ていた地に高揚する妻とうらはらに、夫は赤道直下の暑さの中、緊張の冷や汗を流していた。
 ガラパゴスに来るビジターは、かならずナチュラリストと呼ばれる専門家のガイドと行動を共にする。我々を案内してくれるのはカルロスというヒゲの可愛いナチュラリスト。彼に連れられ、港までバスで移動、そのまま乗船である。
 我々を誘う船はCORAL 1というクルーズ船。スタッフ5、6名、ゲスト20名で一杯になる程度の規模だ。港から専用のボートで乗船すると、渋い木目の内装にサロンや食堂のついた豪華な造り。それぞれがキャビンに落ち着くと、すぐにミーティングである。すでに船は出発し、第一目的地に向かっているのだ。
 時間に余裕があり、ある程度裕福な人間が多い(我々はどちらでもない)ガラパゴスクルーズには、リタイアした夫婦などが訪れる。我々はもちろん最年少で、唯一のアジア人である。その他はアメリカ、イギリス、オーストラリア、アルジェリア、スペインと、おお、なんと国際色豊かなことか。

 約四時間。ちょっと二日酔い気味くらいに気持ち悪くなった頃、第一目的地であるバルトロメ島に到着。ボートで降りると、いきなり上陸地点でアシカがのてくっとる。キャーかわいい!!さらに島を進むとトカゲはちょろちょろするし、でかいカニはいるし、夕日は綺麗だしでもう大変。妻は、トカゲの前から動こうとしない(笑)。
 その日はそのまま夜中移動で、早々に夕食を食べた後、二人とも睡眠薬を飲んで寝入ってしまった。
 翌日。本日はガラパゴスで最も大きなイザベラ島を2ポイント回る。いやあ、これがすごいラッキーで、「なかなか見る事が出来なくなってきた」というランド(陸)イグアナに数匹出くわすわ、「この前見たのは半年以上前だ」(byカルロス)というゾウガメが陸上を移動してるトコにでくわすわで、夫婦揃ってコーフン。しかし秋本治先生へのお土産とばかりに、「こち亀」1000回記念パーティーでいただいた両さんメダルとゾウガメの記念写真をちゃんと撮ったりもする。
 コーラル号の夜は早い。なんせ皆さん、年齢が年齢だけに夜10時には寝てしまうのねー。で、寝付かれない夫は、サロンでお酒を飲むと。フと見るとかたわらにギターがある。それもオベーションという高価なモデル。それを手にとったのがまずかった。持ち主であるバルマン(バーテンダー)の兄ちゃんが「弾いてくれ」と言ってきた。
夫「あたしゃいかにも作曲家だが、ギターは弾けない。今度くる時はピアノを持ってくるから、君が弾きたまえ」
と言って渡す。するとバルマンはエクアドルで流行っているというポッブスを弾き語ってくれた。船のエンジンの音、寄ってくるスタッフ、見事に一音はずれた唄・・・。このサバト(笑)は、帰る日まで続くのであった。

 さて、そうこう各島を見歩いて四日め。今日はサンチァゴ島という、最もシー(海)イグアナ等が繁殖している島へ。妻はもう、楽しみで仕方ないようだ。島に上陸する。すると、うわわ、いるいるいる、ウジャーッといる!!アシカもいるしアカアシカツオドリもいる。
子供のような表情で凝視し、写真を撮りまくる妻。「カッコいい!」
「もっと見てたい」を連発する妻。
夫「・・・小さいの一匹ぐらいなら、持って帰ってもバレないや、って思ってるでしょ?」
妻「ギクッ!!」
 この旅の前に、夫は妻の母に注意を受けていたのだった。
母「あのコが動物にヘンなコトしたり、余計なモノを持って帰って来ないように見張っててね」
 シーイグアナは、他の個体が近づくと、鼻から水をフンッ!!と出して威嚇する。こっちでフンッ、あっちでフンッ。すっかりイグアナの匂いに慣れた頃に、移動。ラビダ島という小さな島へ行き、シュノーケリング。ここがまた、魚はズンドコ泳いでいるわ、浜辺でアシカがのてってるわでコーフン。こっちが泳いでると、アシカが並んで泳いだり、間に割って入ってきたりする。ああ、おサカナになったワ・タ・シ・・・(^^)
 その夜はガラパゴス最大の港街プエルト・アエラに停泊し、いよいよ最後の日。サンタクルス島にあるダーウィン研究所を見学。ここにはジョージ君という巨大な名物ゾウガメの他、子ガメ中ガメを育てているのだ。しかも、基本的にガラパゴス諸島の動植物は触ってはいけない事になっているのだが、ここのカメはちょっとは触れる。これ幸いとE.Tのようなカメに触るお子様夫妻。
 そうしてアッという間のクルーズも終わり、空港へ。パスポートに記念のガラパゴスのハンコを押してもらい、一路キトへ・・・・って、なに?乗客が多すぎて次の便に変更?・・・ああ、ノンビリしてるなー。
第五章 北と南を股にかける
 なんとかキトに帰り着く。しかし、飛行機が遅れたためにドクトルの出迎えの姿はない。しょうがない、とりあえず電話でもするか、というタイミングで、これまた出迎えに遅れたドクトルとバッタリ。そのままおウチへ。
 すると、何やらガヤガヤと騒がしい。あれれ、お客さんが一杯来てる。なんでもドクトルのお父さんとお母さんの友達や親戚が集まって、ギャンブルをしているのだった。うーむ、スペイン語の矯声は凄まじい。
 翌日。ドクトルと三人で観光の続き。でっかいクレーターを見にいったあと、北半球と南半球をわける0゜0"0'のモニュメントへ。ここでは他の観光客同様、赤道の線(ちゃんと赤かったのだ)をまたいで記念写真。思えば遠くへ来たもんだ。
 その夜はドクトルの家でラストナイト。ドクトル自ら作って下さった料理を楽しみつつ、マルタ、10歳ながら4か国語をあやつるミッシェル、セバスチャンと共に歓談。さて、明日はボリビアだ。
 翌日。ドクトルにお礼を言い、いよいよボリビアに出発。ここからリョイド・アエロ・ボリビアーノ航空という聞いた事のない飛行機で、ペルーを経由してボリビアの事実上の首都であるラパスに向かう。

 このラパスというのが問題なのだった。街は標高3800メートルの高地にあり、空港なんて4000メートルを突破してる。キトをクリアした夫が不安になるのも無理はない。妻は何度か訪れているが、その時同行した友人たちは、ことごとく高山病の症状が出ているのだ。
妻「とーちゃんはきっと大丈夫だよ」
 明るい妻の笑顔に励まされ、ぐおおと旅立つ。ここで嬉しいハプニングがあった。チーフパーサーが、ファースト用のシャンパンを持ってきてくれたのだ。
パ「実はスチュワーデスからハネムーンだと伺いまして・・・」
 おお、そう言えばさっき妻がスチュワーデスと話してたな。
パ「この路線でハネムーンのお客様は初めてなのです。そこでこれを機長以下スタッフ全員より・・・」
 やるやんけ、ボリビアーノ航空!!!!すっかり気をよくした我々は、約6時間の旅も苦にならず、いよいよラパスへ到着。荷物を持って外へ出る。
 と、おろ???なんか足がもつれる。頭がポーッとして、お酒に酔ったみたい。ふふふ、そう。これも立派な高山病の症状なのだ。そのままなんとか入国し、エラそうな態度の検査官に荷物をすっかりチェックされ、適当にタクシーに乗る。もちろん宿は決めてないが、「地球の歩き方」にのってたホテルを適当に告げる。あああ、ポーッとしたのがなおらないよう。結局この日は、チェックインして、ホテルにほど近い謎の中華料理屋でラーメン食べて寝た。坂が多くてすぐ息切れするし、ビールも血行が良くなると危ないから危険なのだ。大体この高山病というのは個人差があるのだが、ひどい頭痛やめまい、吐き気など諸症状がでる。酷い場合には呼吸不全や鼓膜の破裂、毛細血管の破裂などもあるらしい。

 次の日、街を見物に行く。が、まだポーッとしたまま。これぐらいの高所になると、適応に一週間ほどかかるらしい。そこにムチ打つように妻は鳩の落し物の直撃を浴びるわ、坂が多くて苦しいわで大変。謎のインドベジタリアン料理を食べても気分すぐれず。こりゃもうホテル帰って寝てようと思った矢先、妻が一軒の屋台を見つける。
妻「ここ、コカの葉売ってるよ」
 なにィィっ!?コカの葉というのはもちろんアレなのだが、これをガムみたいに噛む事によって高山病の症状が軽減するという。ただちにそれを買う。
夫「クアント・クエスタ?」
おっちゃん「ドス・ボリビアーノス(約60円」
 やっすーーーい!!ビニール袋一杯分がコレですぜ、ダンナ(^^)
そのままわしっ、と掴み、口の中に入れて噛む。ううっ、なんか虫さんになったみたい。
 しばらく噛んでると、どうも舌が痺れれれ。さらに噛んでいると、気分がスッキリし、体がよく動くようになってきた。うーむ、コカの葉は偉大だ。そのまま翌日の飛行機のチケットを買い、街中でデート。高所だというのを忘れてビールも飲んじまったい、ふふふ。
 翌日、朝から近郊にあるティワナコ遺跡を見学し空港へ。今日からサンタクルスという街に行くのだ。ここは何度も妻がボランティアで来たところで、友人も多い。よっていくつかのお宅へお邪魔するのだ。ああ、お土産に買ったインスタントラーメンの袋、気圧でパンパンに膨れていたのがしぼんでいく・・・。
最終章 そして現実へ
 ボリビアでお世話になったのは、すんごいお金持ち宅。毎日いろんなトコを案内してもらったり、ご馳走してもらったり。その合間に、日本人移住地のオキナワ・コロニアルに行ったりして、貴重な体験をさせていただいた。
 圧巻は現地沖縄県人会の例会にお邪魔した時のこと。ちょうど山羊汁を作ってらしたのねー。この山羊汁、食べたことがあればわかっていただけるが、肉に独特の臭みがあって、好き嫌いがハッキリでます。調理方法は簡単で、生きた山羊をバラし、内臓から血から鍋で煮て、好みで塩と生姜で味付けして食す。日本の山羊汁ならなんとかクリアできたが、ここボリビアでは肉の鮮度が良すぎて、食べるとガッツンガッツンとくる。でも食べたけど。
 そして宴会。夫はあっけにとられる妻を置いて沖縄民謡を唄い、現地の地酒をガバガバと飲むのでした。
 ちなみにボリビアの詳細が知りたい人は、一本木蛮&堂々組の同人誌、「HOLA! BOLIVIA」を読むべし。
   さて、長かった旅もようやく終わりに。サンタクルスのビル・ビル国際空港を出発したアメリカン航空027便は、一路マイアミへ。そこで再び行きと同じモーテルへ入り、同じバーで夕食。翌日の早朝出発で再びシアトルを経由し、無事に日本へ。心配していた税関もノーチェックで、クソ寒い日本のクソ混んだ田園都市線でおウチへ帰り着いたのでした。

 あれから数ケ月。いまだ完全社会復帰は果たしておりませぬ(爆笑)。

全てのアメリカ・エクアドル・ボリビアの友人に感謝を込めて

                       一本木蛮・ダンナ
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